眠れぬ夜
    - 2017/09/29(Fri) -
    余っている写真を整理することにして
    ずっと紙袋に入れていたけど、
    最近になってようやく
    要らない写真を少しずつシュレッダーにかけている。

    要らない写真の中にも
    たくさんの思い出が詰まっている。
    余ってはいても、どうしてもまだ捨てられない写真は箱に入れ
    ランダムに選んで2、3枚ずつ飾り、
    半日か一日置きに交換する。

    ある日手に取った写真は、
    生まれて数ヵ月の笑顔のどじの写真と、
    同じく笑顔の 
    黒い枠の額に入ったどじと一緒に写る、家族の写真。

    その対比に胸が詰まる。

    それでも飾る。
    どちらもどじの大切な人生の一コマであるのだから。

    どじの人生は終わっているようで 終わっていない。
    何故なら私の心の中で生きているから。
    常に私の心にいる命。

    誰かの心の中にもいるかもしれない。
    いつもはいなくても 
    ある日ふと その人の心に現れたなら
    その人の心の中で 生きている。
    いえ 生かされている。

    どじを生かせてくださって ありがとう。
    忘れないで 時々 思い出して欲しい・・

    ・・などと 眠れない夜には考える。
    いろいろなことを考える。

    最近は眠れない夜と
    よく眠れる夜が交互にくる。
    眠れないこんな夜は
    さぼっていたブログ更新ができて、 
    良いかもね。

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    特別な歌
    - 2017/08/19(Sat) -
    8日 京都の街中の
    ビルに挟まれた、車が連なる道路で
    赤とんぼが群れ飛ぶのを見ました。

    もう赤とんぼ?
    台風が去った後の蒸し暑い日で
    不思議にも思ったけれど、
    自分の住む町でも赤とんぼが飛んでいた。

    今年の夏は短いのかな?
    肌寒さで目覚める夜も増えてきた。


    そして今日は 夏の終わりのコンサート。
    どじの先生方が行う 年に一度のコンサート。
    今年もほっこり。
    たくさんの来場者の方々と、楽しい時間を過ごしました。
    どじは本当に 良い先生方と出会えたね。

    どじの歌は歌われることはない。
    寂しくもあるけれど 少しほっとしている自分に気付く。

    この場所で私はもう 特別な人ではないのです。

    特別という言葉は適切ではないかもしれない。
    でも 事故で亡くなった教え子の歌を歌ってくださることは
    私にとっては 特別なことだった。

    いつも緊張して 背筋を伸ばして聞いていた。
    会場にいる人の中にも
    あの歌を 私を 
    特別と思った人がいたのではないだろうか。

    生きているのが当たり前の年齢の子供が
    突然死んでしまうのは非日常。
    とても大きな悲しみ。

    それを受け止めて長年歌ってくださった。
    命日にも毎年来てくださった。

    歌を歌われなくなって
    先生方との繋がりが ひとつ減ったと感じている。
    他の同級生達の母親と
    同じ場所に立てたようにも 感じている。
    普通の人と同じ場所に。
    その人達と距離はあるけれども。

    歌を手放して下さったことで
    平凡だった日常を思い出したのかもしれない。
    二度とそこに戻れなくても、 
    ひと時でも、
    特別さ がないことに
    少し自由を感じてもいる。

    そう感じられるようになったのも 
    歌ってくださった十数年の時があったから。
    たくさんのことを思い出し、
    心から感謝しています。

    天国にいるあなたへ

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    一体になる
    - 2017/08/05(Sat) -
    洋裁関係の本の
    バッグ作家の方のアトリエ訪問 というページの
    その方のミシンについてのコメントに、

    昔はよく失敗してはほどいていたけど
    ある時ふとミシンと一体になったような感覚になれた瞬間があった
    と 書かれていた。

    私も失敗してほどくのはしょっちゅうだけど
    ミシンと一体になれた なんてこと一度も思ったことはない。

    その作家さんほど、ミシンに触れていないから
    まあ 当たり前でもあるんだけど、
    ほかのどんなものでも、
    一体になれた、と思えるようなこと
    もしかして一度もなかったかもしれない。
    いろいろなものを少しずつかじってはいても、
    一つのものに深く入ることはないから。


    バッグ作家なら ミシンと一体に
    書家なら 筆と一体に
    ギタリストなら ギターと一体に
    ピアニストなら ピアノと一体に
    旋盤工なら 旋盤と一体に・・

    どれもプロの仕事ですね。


    私は永遠のアマチュア。


    亡くなった人と一体に・・
    という言葉も時に聞くけど
    私 どじと一体に と思ったこともない。

    ただ自分の 核 として 常にある。

    自分の限度の中で 出来ることをする。
    それでもいいのだと 思っている。

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    お誕生日ありがとう
    - 2017/08/03(Thu) -
    今日は曇り時々晴れ。
    室温は30度前後あったけど、
    遠くの雨の空気を運んでくるような風が冷たくて、
    気持ちがよい一日だった。

    今日はどじの誕生日。

    家中をきれいにし、
    いつものようにちらし寿司を作り、
    好きだったおかずを作り、
    いつものようにスイカを準備
    と、
    今日は一日 どじのために動いていた。

    どじが生まれた、
    私がどじの母親になった、記念の日
    なのに 
    おめでとうの言葉は似合わない。

    だから おめでとうの代わりに
    ありがとう。


    お誕生日ありがとう

    生まれてきてくれてありがとう
    あなたの親にならせてもらってありがとう

    ありがとうの言葉の中に 
    申し訳ない気持ちが 
    ありがとうの何倍もこもっている。

    生かせてやれなくてごめん
    私だけが生きていてごめん

    私の心情にはごめんねの言葉が一番合うけれど
    どじにはそれは似合わない。

    だからありがとう

    ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう
    ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

    お誕生日 ありがとう

    201783.jpg
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    入道雲
    - 2017/08/02(Wed) -
    日中は結構晴れた。
    山の上に入道雲がもくもくと。

    旅の予定も 遊びに行く予定もないけれど
    青い空と白い雲を見ると 
    なぜだろうね わくわくする。

    私もまだ そんな気持ちを持てているんだな 

    肉体的には若くない。
    そりゃそうだね。 
    だって今年の秋で20年だよ。

    どじはずっと9歳のままだけど
    私はその分 年をとっている。
    20年分 生きていない気持ちがしていても。

    だけど夏になるとわくわくする。
    青い空と白い雲に 憧れのような気持ちを抱く。
    どじのように。

    そんなことが、嬉しい。

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    あの時はごめん
    - 2017/07/31(Mon) -
    蒸し暑い日が続いていますね・・

    今日は抱えていたものを一つ、片づけました。
    ようやく終えて、ちょっとスッキリ。

    でもお天気はすっきりしない。
    梅干しの仕上げがなかなかできない。

    随分前から夏バテ状態です。
    でも時には、早朝散歩(但し自転車) もするんです。
    睡眠障害というか 夜目が覚めて眠れなくなったり
    睡眠不足なのに早くから目が覚めたりするからなので、
    あまり健康的でもないけれど・・

    それでも早朝の空気は清々しい。

    チャリチャリとのんびり走っていたら
    あるお寺の掲示板に、

    「あの時はごめん」

    と一言書いてあった。


    「あの時はごめん」

    と言わなければならないこと たくさんある。


    人の心を傷つけたこともある。
    申し訳ないことをしたと悔やんでいることも。

    だけどあの時はごめんと言ったところで、
    過去は取り戻せないし、やり直すこともできない。

    未熟だった自分を恥じるばかり。


    あの時はごめん。
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    東名高速の事故
    - 2017/06/13(Tue) -
    東名高速で乗用車が中央分離帯を越えてバスに衝突したニュース。
    よく目にしますね。

    いつもテレビをつけている訳ではないし、
    音声が聞こえず字幕が頼りなので
    視線を外している時は内容がわからないんだけど、
    その乗用車の運転手の男性について、
    語られることはあまりないように思うのですが・・

    語られていたとしたらごめんなさいですが、
    乗用車の男性が亡くなっていることに、
    一人の命が車によって奪われてしまったことに、
    目を向けていないのは、何故なんだろう。

    その人が飲酒していたとか、
    覚醒剤の常習者であったなら、
    また 見方が違ってくるとは思うけど。

    原因は徐々にわかりつつあるけれども、
    その男性に大きな非があったかどうかは現在の時点ではわからない。
    非があるないに関わらず、
    その人を悼む声がないことに、少し疑問を感じる。
    バスに衝突した瞬間の映像ばかりが目立って
    その人の命を忘れているようにさえ感じる。

    バスの運転手さんの判断は、さすがプロですね。
    乗員乗客の方々に死亡者がいなかったのは幸いでしたが、
    大怪我をされている方々は、後遺症のことも心配だと思います。

    早く回復されることと
    亡くなられた乗用車の男性の冥福を祈ります。

    そしてこのような事故が今後はないように
    命を失うことがないように、
    改善されることを願うばかりです。
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    最近は
    - 2017/05/25(Thu) -
    通学路を車で暴走する様子を
    車内から映している動画があるとニュースで知った。

    何の不満があるんだろうね?
    ○○につける薬、どこかに落ちてないかな?

    私がその道路を歩いていたら
    撥ねられているかもしれない。
    (車の接近に気付かなくて)


    近所には幅4メートルもない道路が多い。
    後ろから来る車に気付かなくて、
    真後ろで大きな音でクラクションを鳴らされて
    びっくりすることが何度もある。

    狭い道の真ん中をとろとろと歩いている私が悪い、
    と ドライバーは思っていると思う。
    (追い越しざまに睨まれる)

    最近は端の方を歩くようにしているけれど、
    それでも通れない場合が多いので、
    毎度車の通行の邪魔をしています。

    だけど

    道路は車だけのためにあるものではなく、
    歩いている人の全てが車の接近に気がついているわけでもないから、
    そこのところは理解して欲しいものだと思う。

    そして

    最近私は、外国(中国など)の方に間違われることが多くなった。

    ファッションは中国的ではないと思う。
    顔を見て判断はできないだろうと思う。

    では何故、間違われるのか?


    その訳は、

    日本語がわからない人と思われているから。

    声をかけられても無視するし、放送にも反応しないので、
    歩いていて突然、中国語や韓国語が書かれた案内を見せられる。
    びっくりして、日本語で聞けば、
    ○▼□×(日本語)・・・・と言って離れて行かれる。

    最近慣れてきたけどね。


    ということで

    聞こえている人は、
    聞こえない人も世の中にはいるのだということを、
    心の片隅に留めておいて欲しいものだと思う。

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    癒し
    - 2017/05/21(Sun) -
    帰ってきたら、小さな庭の
    ユキノシタの花が満開になってて

    20170521.jpg

    小さくても 癒しの庭。

    虫や小さな生きものもいるので
    猫にとっては、好奇心満載の庭です。
    捕って欲しくはないけどね。

    墓所も緑が豊かになっていました。
    鳥の声や風に揺れる草木のざわめきや小川の音は
    もう私には聞こえないけれど 
    自然に包まれたあの場所は 大きな癒しです。

    補聴器をつければ少しは聞こえるけれど・・

    音のあった世界を懐かしく思う このごろ。

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    帰ってきました
    - 2017/05/19(Fri) -
    暫く留守にしていました。

    その前から更新できなくて、長い間お休みしていましたが、
    生きていますので・・。
    時々覗きに来て下さっていた皆さん、ありがとうございます。

    生きてますが、最近は残りの人生をよく考えるようになりました。
    悔いなく・・悔いがあっても まあいいけど。

    生きていられるのは ありがたいことですね。

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    どんぐり
    - 2017/02/09(Thu) -
    一昨日は月命日の前日。
    断食は昨年夏頃からやめていたものの
    体重も少し増えてきたので、と
    おかゆだけを食べることにした。
    0.5合の玄米を洗い一晩浸水し
    当日の朝ポットに玄米と熱湯を入れ1時間。
    その後鍋に移して20分ほど炊く。
    おかゆと梅干しの食事。

    食べられること なんてありがたいのだろう。


    そして昨日の月命日はお墓へ。

    墓地で佇んでいると、とても心が落ち着いてくる。
    冷えた日だったけどあまり寒さも感じない。

    どじは冷たい土の中 でも
    やがて暖かい春になり 虫や 鳥や 動物達が
    活発に活動する 賑やかな季節を迎える。  
    自然の中 命の循環に入れたことを 
    喜んでやりたい。

    墓地にはあちこちにどんぐりが落ちていた。

    冬も春も
    夏も秋も 
    自然を 命を感じられる場所。
    ここは私にとって 聖地のような場所。


    静かなひとときを過ごせてよかったけれど
    本来なら必要でないひとときでもある。
    本来なら 生きて 
    喜びも悲しみも
    時には苦しみさえも
    味わって欲しかった。

    と どれだけ思っても もう
    どじの人生は閉ざされ
    私は別の人生の道を生きてしまっている。
    だからこの道を 精一杯進むしかない。


    歩道を歩いていた母子にトラックが突っ込み
    母親の命が奪われたというニュースが
    繰り返し報道されている。
    運転者にどんな理由があろうとも、
    もうこれは
    殺されたとしか言いようがないことではないかと思う。

    命を奪われた人は 死にたくなかった 
    もっと生きていたかった。
    遺族も辛い思いをし 苦しんで生きて
    ようやく 心に安らぎを感じられるようになるまで
    とても長い年月が必要であることを
    事故を起こすまで 想像できない。
    起こしてからでも 想像できない。
    そんな人が多いのは悲しい。

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    いつかきっと
    - 2017/01/22(Sun) -
    今朝、窓を開けた時、
    春の匂いがした。

    いつものように寒い日ではあったけど、
    まだ春には遠いけど 
    何故だろう
    空気が 匂いが違っていた。

    感じると 春の空気を思い出し
    なんとなく 嬉しいような気持ちになる。

    そしてすぐ 
    私には待ち遠しい春が、
    ある人にとっては
    とても苦しい季節なのだと思い出す。

    風香る季節も
    私の好きな雨の季節も
    青い空と白い雲に憧れを抱くような季節も、
    他のある人にとっては 
    とても辛く 苦しい季節。

    私が 皆が美しいとはしゃぐ
    紅葉の季節が辛いように。

    だけどこれからは少しずつ
    紅葉の美しさにも慣れていこうと
    思っている。

    どじの眠るお墓は
    紅葉で有名なお寺の片隅にある。
    お墓にたどり着くまでに
    嫌でも目に入る 美しい紅葉。

    これからはその色鮮やかさに
    視線を落とさず 歩こうと思う。

    辛い季節がある人も 
    その季節を静かに
    眺められる日が訪れる。
    いつかきっと。 

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    年が明け
    - 2017/01/11(Wed) -
    いつの間にかお正月が過ぎ、早や11日。

    とはいえ、お正月を意識せずに過ごしてはいない。
    いつもの年のように、嫌々おせちも作った。
    嫌々 というところがなんとも・・だけど、
    1年に1度の世界の大イベントが終わり、
    ほっとしている。

    世界には新年どころではない人達も大勢いるけれども・・
    1年に1度の願いを言うならば、
    皆幸せになれる1年でありますように・・・・


    さて昨日 どじのランドセルを処分した。

    20170109.jpg

    もう数年前から劣化して、ボロボロになっていた。

    嬉しそうにランドセルを背負った時から22年ほど。
    使ったのは2年半。
    高級品ではないけれど、
    そんな年月で ボロボロになってしまうものなんだね。

    入学のときにもらったビニールの手提げ袋と、
    ファスナーが動かなくなった保育園、幼稚園時代のカバンも一緒に、
    新聞紙で包んだ。
    出来れば庭で燃やしたいけれど、出来ないので
    ごみに出すことにした。
    ごみ袋に入れ、出す前に
    今までありがとう
    思い出をありがとう と抱きしめて。

    葬儀の時の香典袋や、
    様々な書類や、弔電の束もみな 処分した。
    たくさんの人がお別れしてくださったことを
    改めて感謝した。

    どじのモノひとつ処分するのに その都度決心がいる。
    でもいつまでも置いておくわけにはいかない。
    いつか誰かがゴミとして捨ててしまう前に
    少しずつでも、自分の判断で処分していこうと思う。

    ようやくその気持ちになれたのは
    昨年12月に ようやく お墓に入れたことも、
    関係しているのだろう と思っている。

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    クリスマスイブ
    - 2016/12/25(Sun) -
    昨日はうちの火事記念日で
    むっちぃの命日でもある。
    いつものようにむっちぃのためと、
    その一週間ほど前が命日のふーちーのため、
    お刺身やフードをお供えした。

    どうかどうか 安らかに。
    生まれ変わりがあるのなら、
    どうかどうか 幸せに。
    そう願いながら。

    そして二度と火事を起こさないようにと誓って。


    そして昨日はクリスマスイブ。

    クリスマスとは無縁の我が家。
    どじが死んでからは
    うちにはサンタさんは来なくなった。

    と カウンセラーの女性に話したら
    彼女は涙ぐんだ。

    ずっと前の話。


    でも今年は 大きな靴下入りのお菓子と
    お菓子の家のお菓子が お供えしてある。
    これは どじのためね。

    いつもは買わないんだけど今年は買った。
    その話は次回に書くことにします。

    そして夜になり、家族の一人が
    ショートケーキを買って帰ってきた。
    夕食の後、紅茶を入れて
    そのケーキを食べた。

    クリスマスイブにケーキを食べるなんて・・
    19年ぶり。

    本当に久しぶりで・・
    ケーキを食べて 感慨に浸った。

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