秋の風
    - 2017/11/13(Mon) -
    秋の風

    一年ごとに想いを乗せて

    今年は

    ほほをやさしくなでる


    この記事のURL | どじの話と 不思議な話 | ▲ top
    命日
    - 2017/11/08(Wed) -
    昨夜はいつものように
    暗闇に紛れて事故現場を掃除し
    花を置き、
    いつも造花を飾ってくれている友人宅にお礼に行き、
    と 毎年 いつもと同じ。

    違っていたのは、悲しくてたまらなかったことだ。

    悲しくてたまらないのもいつもと同じだけど
    涙が止まらないのは 初めてだった。

    友人宅にお礼に行って、話しているうちに
    悲しくて悲しくてもうどうにも止められなくて。

    この20年間 人前で泣くことはなかった。
    いつもぐっとこらえて、涙はほんの数滴で抑えてた。

    昨年 どじの納骨の時には
    涙が止まらなくて号泣していたけれど
    それ以後も そんなに泣くことはなかった。

    でも今は涙が止まらない。
    悲しくてたまらない。

    人前で涙を流せるようになったのが
    いいことなのかどうかはわからない。

    ただ悲しい それだけ。

    この記事のURL | どじの話と 不思議な話 | ▲ top
    絵に描いた餅
    - 2017/11/01(Wed) -
    広告が掲載されるほど更新していませんでした。
    書くことはいっぱいあるのですが・・
    いろいろあった10月でした。

    最近の私は妄想ばかりしていて、
    そんな私に友人が一言。

    「妄想より希望していると言った方がいいよ」

    確かにそうかも。
    妄想という言葉は ふさわしくないかも?

    私にとっては妄想=希望=現実へ
    ということだと思っているので、
    つい 妄想 と言ってしまうのですよね。

    「絵に描いた餅をいつも食べてます」

    と、2014年のブログに書いた。
    あいうえおで呟き

    あの頃から・・そのずっと前から・・進んでいないということか。

    いやいや 少し進んでるかも。
    一歩を踏み出したからね。
    10年早かったら良かったとも思うけど、
    心が定まるまでに時間がかかった。

    だって遺族だものね。

    ようやく落ち着いてきたと最近思っている。
    11月だけど、落ち着いて受け止めている。
    そう思えるようになるまでに、20年かかった。

    遺族の皆さんが全員、そうではないですよ。
    私より早い人も (いるかもしれない)
    長い人は (けっこういそうな気がする)

    落ち着く=忘れる ことではない。
    心の中心にはいつも どじがいる。

    だから私はいつも 
    安心して絵に描いた餅を食べている。

    これがまた 美味なんですよ。



    この記事のURL | どじの話と 不思議な話 | ▲ top
    眠れぬ夜
    - 2017/09/29(Fri) -
    余っている写真を整理することにして
    ずっと紙袋に入れていたけど、
    最近になってようやく
    要らない写真を少しずつシュレッダーにかけている。

    要らない写真の中にも
    たくさんの思い出が詰まっている。
    余ってはいても、どうしてもまだ捨てられない写真は箱に入れ
    ランダムに選んで2、3枚ずつ飾り、
    半日か一日置きに交換する。

    ある日手に取った写真は、
    生まれて数ヵ月の笑顔のどじの写真と、
    同じく笑顔の 
    黒い枠の額に入ったどじと一緒に写る、家族の写真。

    その対比に胸が詰まる。

    それでも飾る。
    どちらもどじの大切な人生の一コマであるのだから。

    どじの人生は終わっているようで 終わっていない。
    何故なら私の心の中で生きているから。
    常に私の心にいる命。

    誰かの心の中にもいるかもしれない。
    いつもはいなくても 
    ある日ふと その人の心に現れたなら
    その人の心の中で 生きている。
    いえ 生かされている。

    どじを生かせてくださって ありがとう。
    忘れないで 時々 思い出して欲しい・・

    ・・などと 眠れない夜には考える。
    いろいろなことを考える。

    最近は眠れない夜と
    よく眠れる夜が交互にくる。
    眠れないこんな夜は
    さぼっていたブログ更新ができて、 
    良いかもね。

    この記事のURL | どじの話と 不思議な話 | ▲ top
    特別な歌
    - 2017/08/19(Sat) -
    8日 京都の街中の
    ビルに挟まれた、車が連なる道路で
    赤とんぼが群れ飛ぶのを見ました。

    もう赤とんぼ?
    台風が去った後の蒸し暑い日で
    不思議にも思ったけれど、
    自分の住む町でも赤とんぼが飛んでいた。

    今年の夏は短いのかな?
    肌寒さで目覚める夜も増えてきた。


    そして今日は 夏の終わりのコンサート。
    どじの先生方が行う 年に一度のコンサート。
    今年もほっこり。
    たくさんの来場者の方々と、楽しい時間を過ごしました。
    どじは本当に 良い先生方と出会えたね。

    どじの歌は歌われることはない。
    寂しくもあるけれど 少しほっとしている自分に気付く。

    この場所で私はもう 特別な人ではないのです。

    特別という言葉は適切ではないかもしれない。
    でも 事故で亡くなった教え子の歌を歌ってくださることは
    私にとっては 特別なことだった。

    いつも緊張して 背筋を伸ばして聞いていた。
    会場にいる人の中にも
    あの歌を 私を 
    特別と思った人がいたのではないだろうか。

    生きているのが当たり前の年齢の子供が
    突然死んでしまうのは非日常。
    とても大きな悲しみ。

    それを受け止めて長年歌ってくださった。
    命日にも毎年来てくださった。

    歌を歌われなくなって
    先生方との繋がりが ひとつ減ったと感じている。
    他の同級生達の母親と
    同じ場所に立てたようにも 感じている。
    普通の人と同じ場所に。
    その人達と距離はあるけれども。

    歌を手放して下さったことで
    平凡だった日常を思い出したのかもしれない。
    二度とそこに戻れなくても、 
    ひと時でも、
    特別さ がないことに
    少し自由を感じてもいる。

    そう感じられるようになったのも 
    歌ってくださった十数年の時があったから。
    たくさんのことを思い出し、
    心から感謝しています。

    天国にいるあなたへ

    この記事のURL | どじの話と 不思議な話 | ▲ top
    一体になる
    - 2017/08/05(Sat) -
    洋裁関係の本の
    バッグ作家の方のアトリエ訪問 というページの
    その方のミシンについてのコメントに、

    昔はよく失敗してはほどいていたけど
    ある時ふとミシンと一体になったような感覚になれた瞬間があった
    と 書かれていた。

    私も失敗してほどくのはしょっちゅうだけど
    ミシンと一体になれた なんてこと一度も思ったことはない。

    その作家さんほど、ミシンに触れていないから
    まあ 当たり前でもあるんだけど、
    ほかのどんなものでも、
    一体になれた、と思えるようなこと
    もしかして一度もなかったかもしれない。
    いろいろなものを少しずつかじってはいても、
    一つのものに深く入ることはないから。


    バッグ作家なら ミシンと一体に
    書家なら 筆と一体に
    ギタリストなら ギターと一体に
    ピアニストなら ピアノと一体に
    旋盤工なら 旋盤と一体に・・

    どれもプロの仕事ですね。


    私は永遠のアマチュア。


    亡くなった人と一体に・・
    という言葉も時に聞くけど
    私 どじと一体に と思ったこともない。

    ただ自分の 核 として 常にある。

    自分の限度の中で 出来ることをする。
    それでもいいのだと 思っている。

    この記事のURL | ひとりごと・日常 | ▲ top
    お誕生日ありがとう
    - 2017/08/03(Thu) -
    今日は曇り時々晴れ。
    室温は30度前後あったけど、
    遠くの雨の空気を運んでくるような風が冷たくて、
    気持ちがよい一日だった。

    今日はどじの誕生日。

    家中をきれいにし、
    いつものようにちらし寿司を作り、
    好きだったおかずを作り、
    いつものようにスイカを準備
    と、
    今日は一日 どじのために動いていた。

    どじが生まれた、
    私がどじの母親になった、記念の日
    なのに 
    おめでとうの言葉は似合わない。

    だから おめでとうの代わりに
    ありがとう。


    お誕生日ありがとう

    生まれてきてくれてありがとう
    あなたの親にならせてもらってありがとう

    ありがとうの言葉の中に 
    申し訳ない気持ちが 
    ありがとうの何倍もこもっている。

    生かせてやれなくてごめん
    私だけが生きていてごめん

    私の心情にはごめんねの言葉が一番合うけれど
    どじにはそれは似合わない。

    だからありがとう

    ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう
    ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

    お誕生日 ありがとう

    201783.jpg
    この記事のURL | どじの話と 不思議な話 | ▲ top
    入道雲
    - 2017/08/02(Wed) -
    日中は結構晴れた。
    山の上に入道雲がもくもくと。

    旅の予定も 遊びに行く予定もないけれど
    青い空と白い雲を見ると 
    なぜだろうね わくわくする。

    私もまだ そんな気持ちを持てているんだな 

    肉体的には若くない。
    そりゃそうだね。 
    だって今年の秋で20年だよ。

    どじはずっと9歳のままだけど
    私はその分 年をとっている。
    20年分 生きていない気持ちがしていても。

    だけど夏になるとわくわくする。
    青い空と白い雲に 憧れのような気持ちを抱く。
    どじのように。

    そんなことが、嬉しい。

    この記事のURL | ひとりごと・日常 | ▲ top
    あの時はごめん
    - 2017/07/31(Mon) -
    蒸し暑い日が続いていますね・・

    今日は抱えていたものを一つ、片づけました。
    ようやく終えて、ちょっとスッキリ。

    でもお天気はすっきりしない。
    梅干しの仕上げがなかなかできない。

    随分前から夏バテ状態です。
    でも時には、早朝散歩(但し自転車) もするんです。
    睡眠障害というか 夜目が覚めて眠れなくなったり
    睡眠不足なのに早くから目が覚めたりするからなので、
    あまり健康的でもないけれど・・

    それでも早朝の空気は清々しい。

    チャリチャリとのんびり走っていたら
    あるお寺の掲示板に、

    「あの時はごめん」

    と一言書いてあった。


    「あの時はごめん」

    と言わなければならないこと たくさんある。


    人の心を傷つけたこともある。
    申し訳ないことをしたと悔やんでいることも。

    だけどあの時はごめんと言ったところで、
    過去は取り戻せないし、やり直すこともできない。

    未熟だった自分を恥じるばかり。


    あの時はごめん。
    この記事のURL | ひとりごと・日常 | ▲ top
    東名高速の事故
    - 2017/06/13(Tue) -
    東名高速で乗用車が中央分離帯を越えてバスに衝突したニュース。
    よく目にしますね。

    いつもテレビをつけている訳ではないし、
    音声が聞こえず字幕が頼りなので
    視線を外している時は内容がわからないんだけど、
    その乗用車の運転手の男性について、
    語られることはあまりないように思うのですが・・

    語られていたとしたらごめんなさいですが、
    乗用車の男性が亡くなっていることに、
    一人の命が車によって奪われてしまったことに、
    目を向けていないのは、何故なんだろう。

    その人が飲酒していたとか、
    覚醒剤の常習者であったなら、
    また 見方が違ってくるとは思うけど。

    原因は徐々にわかりつつあるけれども、
    その男性に大きな非があったかどうかは現在の時点ではわからない。
    非があるないに関わらず、
    その人を悼む声がないことに、少し疑問を感じる。
    バスに衝突した瞬間の映像ばかりが目立って
    その人の命を忘れているようにさえ感じる。

    バスの運転手さんの判断は、さすがプロですね。
    乗員乗客の方々に死亡者がいなかったのは幸いでしたが、
    大怪我をされている方々は、後遺症のことも心配だと思います。

    早く回復されることと
    亡くなられた乗用車の男性の冥福を祈ります。

    そしてこのような事故が今後はないように
    命を失うことがないように、
    改善されることを願うばかりです。
    この記事のURL | いのち、事件・事故 | ▲ top
    最近は
    - 2017/05/25(Thu) -
    通学路を車で暴走する様子を
    車内から映している動画があるとニュースで知った。

    何の不満があるんだろうね?
    ○○につける薬、どこかに落ちてないかな?

    私がその道路を歩いていたら
    撥ねられているかもしれない。
    (車の接近に気付かなくて)


    近所には幅4メートルもない道路が多い。
    後ろから来る車に気付かなくて、
    真後ろで大きな音でクラクションを鳴らされて
    びっくりすることが何度もある。

    狭い道の真ん中をとろとろと歩いている私が悪い、
    と ドライバーは思っていると思う。
    (追い越しざまに睨まれる)

    最近は端の方を歩くようにしているけれど、
    それでも通れない場合が多いので、
    毎度車の通行の邪魔をしています。

    だけど

    道路は車だけのためにあるものではなく、
    歩いている人の全てが車の接近に気がついているわけでもないから、
    そこのところは理解して欲しいものだと思う。

    そして

    最近私は、外国(中国など)の方に間違われることが多くなった。

    ファッションは中国的ではないと思う。
    顔を見て判断はできないだろうと思う。

    では何故、間違われるのか?


    その訳は、

    日本語がわからない人と思われているから。

    声をかけられても無視するし、放送にも反応しないので、
    歩いていて突然、中国語や韓国語が書かれた案内を見せられる。
    びっくりして、日本語で聞けば、
    ○▼□×(日本語)・・・・と言って離れて行かれる。

    最近慣れてきたけどね。


    ということで

    聞こえている人は、
    聞こえない人も世の中にはいるのだということを、
    心の片隅に留めておいて欲しいものだと思う。

    この記事のURL | いのち、事件・事故 | ▲ top
    癒し
    - 2017/05/21(Sun) -
    帰ってきたら、小さな庭の
    ユキノシタの花が満開になってて

    20170521.jpg

    小さくても 癒しの庭。

    虫や小さな生きものもいるので
    猫にとっては、好奇心満載の庭です。
    捕って欲しくはないけどね。

    墓所も緑が豊かになっていました。
    鳥の声や風に揺れる草木のざわめきや小川の音は
    もう私には聞こえないけれど 
    自然に包まれたあの場所は 大きな癒しです。

    補聴器をつければ少しは聞こえるけれど・・

    音のあった世界を懐かしく思う このごろ。

    この記事のURL | ひとりごと・日常 | ▲ top
    帰ってきました
    - 2017/05/19(Fri) -
    暫く留守にしていました。

    その前から更新できなくて、長い間お休みしていましたが、
    生きていますので・・。
    時々覗きに来て下さっていた皆さん、ありがとうございます。

    生きてますが、最近は残りの人生をよく考えるようになりました。
    悔いなく・・悔いがあっても まあいいけど。

    生きていられるのは ありがたいことですね。

    この記事のURL | ひとりごと・日常 | ▲ top
    どんぐり
    - 2017/02/09(Thu) -
    一昨日は月命日の前日。
    断食は昨年夏頃からやめていたものの
    体重も少し増えてきたので、と
    おかゆだけを食べることにした。
    0.5合の玄米を洗い一晩浸水し
    当日の朝ポットに玄米と熱湯を入れ1時間。
    その後鍋に移して20分ほど炊く。
    おかゆと梅干しの食事。

    食べられること なんてありがたいのだろう。


    そして昨日の月命日はお墓へ。

    墓地で佇んでいると、とても心が落ち着いてくる。
    冷えた日だったけどあまり寒さも感じない。

    どじは冷たい土の中 でも
    やがて暖かい春になり 虫や 鳥や 動物達が
    活発に活動する 賑やかな季節を迎える。  
    自然の中 命の循環に入れたことを 
    喜んでやりたい。

    墓地にはあちこちにどんぐりが落ちていた。

    冬も春も
    夏も秋も 
    自然を 命を感じられる場所。
    ここは私にとって 聖地のような場所。


    静かなひとときを過ごせてよかったけれど
    本来なら必要でないひとときでもある。
    本来なら 生きて 
    喜びも悲しみも
    時には苦しみさえも
    味わって欲しかった。

    と どれだけ思っても もう
    どじの人生は閉ざされ
    私は別の人生の道を生きてしまっている。
    だからこの道を 精一杯進むしかない。


    歩道を歩いていた母子にトラックが突っ込み
    母親の命が奪われたというニュースが
    繰り返し報道されている。
    運転者にどんな理由があろうとも、
    もうこれは
    殺されたとしか言いようがないことではないかと思う。

    命を奪われた人は 死にたくなかった 
    もっと生きていたかった。
    遺族も辛い思いをし 苦しんで生きて
    ようやく 心に安らぎを感じられるようになるまで
    とても長い年月が必要であることを
    事故を起こすまで 想像できない。
    起こしてからでも 想像できない。
    そんな人が多いのは悲しい。

    この記事のURL | どじの話と 不思議な話 | ▲ top
    | メイン | 次ページ