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    突っ込みもよろしく
    - 2005/05/31(Tue) -
    自転車に乗ると耳元で風がぼうぼうと鳴る。

    以前住んでいた家は坂道を登ったところにあり、
    体力のないおそらはいつしか自転車に乗らなくなり、
    車かバス(徒歩もなし!)の生活が数年間続いていた。
    今の家の近辺は坂道が殆どなく、
    自転車を買って久し振りに乗ったとき、
    自転車で走ると耳元で風がぼうぼう鳴るんだということに、
    再び気が付いたのだった。

    普段の生活では意識しない音ってたくさんありますよね。
    健聴だったときは全く意識しなかったけれど、
    補聴器をつけたら気が付く音がいっぱいあった。

    スリッパを履いて歩くと、
    パタパタという音しかしないと思っていたけど、
    補聴器をつけたらパタピタパタピタという音がする。
    解説・・・
    パタ→床にスリッパを下ろす音 
    ピタ→スリッパが床から離れたときに足がスリッパに当たる音
    パソコンを使っているとカチカチ音がする・・・ん?
    ・・マウスをクリックしたら音がするんだ!
    電気ポットのお湯が沸いたら電子音がするとは思っていたけど、
    メロディーがついていたんだ!

    外へ出れば、踏切の横を通ると変な音がすることに気が付く・・・
    そうか踏切の機械はいつもジー・・・という音をたてているのか。
    ・・・などと新しい発見がいっぱい。
    いや本当は新しくない。
    聞こえていた時には意識していなかっただけだったのだ。
    全て聞こえるわけじゃないけれど、
    補聴器で少しでも補えるってありがたい。

    意識しないでしていたことは他にもある。
    頭の片隅で他の事を考えながら、別の話をするということができた。
    今は相手の話を理解することに精一杯で、そんな芸当はできない。
    以前は雑踏の中でも相手の声を聞き分けて話をすることもできた。
    今は他の音や声があるともう聞き取れない。
    とにかく聞き取ろうと集中するから、結構疲れる。

    聞こえていた時には、相手の話を半分しか聞いていなくとも
    気にせず受け答えしていたんだけど、
    聞こえにくくなったら、正確に聞き取りたいと思うのは何故?
    下らないと思える話でも、聞き取れないと焦ってしまうのは何故?
    と思いながらも、
    まあいいやで済ませるこのいい加減さはどこからくるの?

    改めなければ。
    と思うけど限界もあるので、
    分かってないな~と思ったときはどうぞ遠慮なく、
    突っ込んでやってください。

    と言っても聞こえていると思われるときが多いから、
    突っ込んでくれる人は少ないでしょうね。
    でも少数でも指摘してくれる人がいるだけまし。
    聞こえにくいことを誰にも理解されず、
    悩んでいる人は他にたくさんいるに違いないんですから。

    人間の体は本当によくできているものです。
    壊れたら修復は難しいですよ。
    いつもは意識しない聞こえ。
    皆さんも耳、大事にしてくださいね。

    2005/05/31(火) 17:19:36
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    Sさんその後
    - 2005/05/28(Sat) -
    Sさんの死後、夢を2回見た。

    1度目は三回忌を過ぎた、秋のお彼岸の中日の前日。
    とても悲しそうな顔で現れた。
    何も言葉はなかったけれど、その悲しそうな顔が気になって、
    翌日子どもたちを連れてお墓参りに出かけた。
    私たちがお墓参りを済ませた後にお父さんが来られたらしく、
    喜ばれて、後で電話を下さった。
    それからまた年に数回お会いするようになった。
    三回忌を過ぎ誰も訪れなくなり、
    寂しい思いをされていたお父さんのことが
    彼女は心配だったのでしょう。
    夢に現れたのは、お墓参りに行って欲しいという
    メッセージだったのかもしれないなと思いました。

    2回目は、どじの事故から半年後。
    事故後、お父さんから電話がありました。
    以前から形見として受け取って欲しいと仰っていた彼女の本を
    ようやく整理できたから、取りに来て欲しいという内容でした。

    「坊ちゃんたちはお元気ですか?」と聞かれたけど、
    どう答えたらいいのか。
    事故のことはご存知ないらしい。
    引き取った犬と散歩していた時に事故に遭って亡くなりました、
    なんてとても言えない。
    元気ですと答えたけれど、普段のようには話せず、
    取りに行く日を指定されたけど会うのは辛く、
    都合が悪いと言って断った。
    そんな私の雰囲気を私が迷惑に思っていると受け取られたのか、
    それ以来電話はしてこられくなった。

    彼女の命日もお彼岸にもお墓参りにも行くことができず、
    お父さんのことが気になりながらも
    どうしても私から連絡することができず、
    そうして5月になったある日、彼女が夢に現れた。
    全体が霧がかかっているようなイメージで、
    何も話さないのだけれど、とても静かで穏やかな雰囲気。

    気になったけれどそれでも連絡できず2週間が過ぎた頃、
    父が、新聞を手に家にやってきた。
    お父さんの名前が死亡記事の欄に出ていると言う。
    驚いて電話をしてみたら、東京に住んでおられる
    Sさんのお姉さんが出られた。
    偶然にもその日だけ遺品を整理しに来られていたのだ。 
    急いでSさんの家に行って話を聞いたら、
    私がSさんの夢を見た2日前に、
    心臓発作で孤独死をされていたのだった。
    ご近所の方が異変に気付いて窓から入り、
    既に亡くなっておられたお父さんを発見したのが、
    私が夢を見た日だったのです。

    彼女は安心したのでしょう。
    夢で私に教えてくれたのだと思います。

    私もほっとしました。

    実は彼女はご両親と血の繋がりはなく、
    まるでドラマのような人生を送ってきた人でした。
    今はきっと3人で安らかにおられることと思います。

    2005/05/28(土) 18:22:25
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    弁護人は必要ですが
    - 2005/05/28(Sat) -
    林真須美被告に死刑判決が出たそうですが・・・。

    どの事件でも思いますが、
    弁護人は、罪を犯した人に対して
    必要以上の弁護をしているような気がしてなりません。
    服役中だった夫にも、
    真須美被告の公判調書を差し入れていたなど至れり付くせりで、
    被告側にとっては大変有利となっていますね。
    違法捜査や冤罪があってはいけないから、
    弁護人が必要なことも理解しているつもりですが、
    被害者の立場から見ると納得できないことが多いです。


    どじの事故の刑事裁判第一回公判の時、
    それまで裁判所に入ったことがなかった私は、
    法廷の右側の席に座っている、
    カジュアルな服装をしたオバサンを見て、
    何故ここに清掃係のオバサンが座っているのだろうと思いました。
    よく考えたらそんなところに掃除のオバサンが座っている訳がなく、
    ただ第一印象で掃除のオバサンだと思ってしまったのですが、
    その人が被告人(加害者)の国選弁護人だったのです。

    そのオバサンとは約1年間法廷でお付き合いしましたが、
    訳の分からない弁護を繰り返しておられました。
    いろいろありますが、特にひどかったのは、
    「被告人の時速35kmは普通の速度である。
    仮に時速100kmで走っていれば事故は起こしていない。
    横断歩道があるからと言ってゆっくり走る義務はない」
    の言葉でした。

    いくら弁護が仕事だと言っても、それはおかしいんじゃないだろうか。
    スピードを出していたら事故を回避出来たのか?
    スピードを出していい状況とは違うでしょう。
    誰も通っていない田んぼの中の1本道にある横断歩道ではなく、
    住宅街で片側の車線が渋滞していて、
    被告人は犬がいたことも知っていたんですよ。
    また時速35kmというのは被告人の供述で、
    真実かどうかはわかりません。
    道交法を無視していますね。
    何の為の法律なんですか。
    弁護すればいいというものじゃないでしょうが!

    それに事故20日後の加害者の供述調書を後で見ると、
    自分が減速しておれば避けられた、
    横断歩行者を予測していなかったばかりに起こした事故だ
    と言っているのに、
    1年後の裁判では一転して、自分の非を認めなくなった。
    と言うことは、
    その1年間で周囲から悪知恵をつけられたか
    1年間で被害者意識を持ってしまい、
    事実を自分で認められなくなったか、
    弁護人に優しくされて、自分は正しいと思い込んだか、
    等と想像してしまうのです。

    そんな経験をしていると、罪を犯した人の弁護人を
    少々うんざりした思いで見てしまいます。
    勿論そんな弁護人ばかりではないだろうとは思います。
    冤罪を防ぐ為に弁護は必要ですが、
    優れた弁護人であって欲しいと思います。

    2005/06/28(火) 17:14:43
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    犬は人間のように考えない
    - 2005/05/27(Fri) -
    Sさんの死から2年を過ぎた頃、お父さんから連絡があった。
    老人ホームに入ることにしたので、3匹の犬を処分すると言う。
    お父さんは当時80歳を過ぎていて、1人暮らし。
    犬の世話はきつい。
    そこで私は家族と相談、3匹は無理だけど2匹なら・・
    ということで引き取った。
    子どもたちは大喜び。

    犬を飼うのは初めてなので、犬の躾け方教室に勉強しに行った。
    でも周りを見ると、他の犬は全て血統書付き(だろう)の
    高級犬(と言えばいいのかな)ばかり。
    うちの犬も一応、1匹だけは柴犬だけど、
    何しろお父さんが犬の世話ができなかったから
    皮膚病で背中ははげ毛並みは悪く、
    2匹とも非常にみすぼらしい。
    ここに来たのが場違いのような気もしたけれど、
    気を取り直して訓練。

    受けた価値があった。
    お座りも、伏せも、待てもできなかった2匹が、
    帰る頃にはちゃんとマスターしたのだ!
    犬を従わせる方法も学んで、さあこれで大丈夫。
    の筈だった。

    私たちの認識が足りず、
    自分たちが交通事故に遭う可能性は全く頭になく、
    人に迷惑を掛けないことばかりを考えていた。

    事故のときにどじが連れていた犬は、
    柴犬ではなく秋田犬との雑種で中型犬。
    ちょっと見にはやや大きく見えるが、どじは背が高く、
    3年生だったけど5,6年生くらいに見えていたので、
    大きな犬、という感覚はなかった。

    どじには友だちが多く、年齢も
    ヨチヨチ歩きの幼い子どもからご老人まで、と幅広かったから、
    もし、どじが犬を連れているときに
    犬が小さな子どもや犬の嫌いな人に寄って行ったら、
    驚いて道路に飛び出して、事故に遭うかもしれない。
    そんなことがあったら大変だから、
    いつでも犬を止められるようにリードの先の輪に手を通して、
    離れないように手に巻きつけて持ちなさいと教えていた。

    目撃者の話によると、
    どじは手を伸ばした状態で犬の後ろにいて、
    ダンプの接近には全く気が付いていなかったらしい。
    それでも、リードを持っているだけの状態だったなら
    もしかしたらリードが離れて、
    命を落とすことはなかったかもしれない。

    勿論、事故の原因は加害者にある。
    でも私があらゆることを想定して、注意を払っていたなら、
    事故を回避できたかもしれないのだ。
    考えが足りなかった自分の愚かさを責めるばかりだけど、
    このようなことが二度と起こらないように、
    私たちの失敗を教訓としてもらえたら、と思います。

    2005/05/27(金) 19:07:31
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    Sさん
    - 2005/05/26(Thu) -
    どじが1歳を過ぎた頃、自分が病気だとわかり、
    ある患者会に相談に行った。
    それからしばらくしてSさんが電話をくれ、付き合いが始まった。

    彼女は二十歳の頃にお母さんを癌で亡くし、その後難病を発病。
    以後入退院の繰り返しで、
    好きだった人とは会えなくなり、仕事も出来ず、
    山の中腹にある住宅街で、
    お父さんと、犬3匹と一緒に暮らしていた。

    病状が悪い時には落ち込むけれど、
    良くなると一緒に遊びに行ったり、映画を観に行ったり。
    冗談大好きな彼女と会っているときは、もう笑いっぱなし。
    2,3ヶ月に一度会うくらいだったから、電話でよく話をした。
    メールはまだ普及していなかったけど、
    もしあれば、もっといろんなことを話せていたんだろうなあ。
    陽気だけど繊細なところもあり、いい友達だった。
    こういう人を親友というのかなと思っていた。

    出会ってから3年くらい経った頃、ふと彼女が言った。
    「私ら、病気にならなかったら会うことはなかったんやね。
    人との出逢いって不思議やね」
    私は、何だか切ないような気持ちになり、
    「うん、ほんとうやね」
    と答えた。

    それから数ヶ月後、Sさんは突然脳梗塞となり入院。
    おしゃべりな人だったから、言葉が出ないのは辛かったろう。
    病院に駆けつけた私に、
    文字盤を指して、時間をかけて言った言葉は、「おしめ」。
    おしめをされている、と、声にならない声で泣いた。

    大切な友達なのに、
    私は彼女の苦しみを理解できていなかったと思う。
    精一杯のことをしたつもりだったけど、
    彼女は私に違うことを求めていたように思う。

    数人の看護士(看護婦)が世話をしてくれたけど、
    邪険に扱う人もいたし、
    苦しそうなのでナースコールを押せば、
    また?と露骨に嫌な顔をする人さえいた。
    そんななかでたった一人だけ、
    彼女に優しい言葉をかけてくれた若い看護士さん。
    何かを訴えようとしている彼女に、
    「苦しいね。一杯話したいことがあるのよね」と
    彼女の手足をさすりながら何度も言葉をかけてくれた。
    天使のような人だと思った。

    亡くなった後はその看護士さんには会えず、
    お礼を言えずじまいだったけど、ずっと感謝しています。

    Sさんとはたった3年程の付き合いだったけど、
    出逢えてよかったよ。
    今でも私の、大切な友達です。

    2005/05/26(木) 22:16:21
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    同じ思い
    - 2005/05/25(Wed) -
    脱線事故から今日でもう1ヶ月。
    ご遺族や怪我をされた方々にとって、長い1ヶ月だったことでしょう。
    罪悪感を感じているという、
    助かった人たちや救助に関わった人たち。

    遺された者がよく口にする言葉。

    あの時ああしていれば・・・。
    このようにしていたら・・・。
    何故私が生きているんだろう。
    みんなそう思う。

    自分を責めるのは、
    加害者に対する怒りが自分に向けられているから と、
    カウンセラーに言われたことがある。
    そうかもしれない。
    例え病気で亡くなったとしても、
    やっぱり遺された者は自分を責めてしまう。

    事故の時にどじが連れていた犬は、
    私の親友とも言える人が飼っていた犬でした。
    若い頃に難病を発病し、仕事も結婚も諦めていた彼女。
    どじが事故に遭う3年前、
    薬の副作用から脳梗塞を併発し、10日間寝たきりになり、
    言葉も出せず、体も動かせず、苦しんだ末に亡くなった。

    どじはその時幼稚園の年長さん。
    幼稚園に送った足で病院へ行き、お迎えの時間まで傍にいて、
    帰宅してから家事と夕食の支度を済ませ、
    父親が帰ってくるまでの間子どもたちだけで留守番をさせ、
    また病院へ。

    そんな生活を1週間続けて、自分は精一杯やったと思っていても、
    亡くなった後に、もっと出来たことがあった筈だと自分を責めた。
    悔しかった。
    その悔しさが自分に向けられたのだろうか。

    遺された者は自分を責める。

    生きているから苦しむ。
    でも生きているのだから、楽しいことや嬉しいことがあった時は、
    遠慮なく笑ったらいい。

    きっと亡くなった人も一緒に笑っているよ。

    2005/05/25(水) 22:52:52
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    ニュースを見て、低血圧が改善された
    - 2005/05/19(Thu) -
    昨日、受刑者処遇法が成立しましたね。

    「受刑者の人権に配慮するとともに、
    罪種別の矯正教育の受講を義務化する刑事施設受刑者処遇法は
    18日昼の参院本会議で全会一致で可決、成立した」

    どれだけの矯正教育がなされるのでしょうか。
    受講するだけで本当に矯正につながるのでしょうか?

    犯罪者はそんなに甘いものじゃないと思います。
    人間ってそんなに簡単に変わるのかな?
    もちろん時間をかけてだろうけど・・・???
    確かに矯正教育は必要だと思いますが、
    かなり綿密にプログラムを組む必要があるだろうなと、
    素人なりに考えます。

    「受刑態度が良く、
    交通刑務所などで開放的処遇を受けている受刑者で、
    社会復帰に効果的な場合は7日以内の外泊や外出、
    外部への電話を認める」

    交通刑務所に入る人は本当に少ないんですよね。
    起訴される数も少ないし、まして実刑になる人なんてほんの一握り。
    悪質な交通犯罪の、それも一部の人ですよ。
    しかも刑期が短い。
    せめてその期間くらい、
    世間から隔離され反省する時間を与えたっていいじゃない。
    模範囚と言っても、本当に反省しているのか疑問です。

    誰しも加害者になる可能性はあるけれど、
    死亡事故を起こしている人にはおかしな人が多いように思います。
    だって人間性が運転に現れるんですからね。
    全てではないですけれど、
    そうでない人には滅多にお目にかかりません。

    「受刑者の人権尊重」を謳っているけれど、
    以前に比べたら少しはましになったものの、
    被害者の人権ももっと尊重してもらいたいものです。

    つくづく、罪を犯した人って恵まれているんだなあ・・・
    と、思いますね。

    2005/05/19(木) 17:11:28
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    - 2005/05/17(Tue) -
    どじが事故に遭う1,2ヶ月前の出来事です。
    子どもたちを連れて車で出かけたある日。
    忙しい日が続いていてちょっと疲れていたその日、
    用事を済ませて帰宅途中のこと。
    家まであと少しで帰れると思うと、
    安心感からか眠くなってきました。
    それでもあくびが出るくらいで、死ぬほど眠いということもない。
    T路路の交差点で一旦停止をし、
    左折を開始したところでアクセルを踏んだ。

    ・・・直後に意識を失った!
    眠ってしまったんです!

    曲がった次の瞬間、
    歩道に乗り上げた衝撃と子どもたちの叫び声で眼が覚めた。
    後ろの座席にいた子どもたちは床にころがり、
    歩道の横の駐車場との堺にあるフェンスが目の前にある。

    ぞっとしました。
    歩道の幅は1メートルもありません。
    もし人が歩いていたら、
    車とフェンスの間にはさんでしまい、
    命を奪っていたかもしれないのです。
    居眠り運転というものは、
    うとうととして起こしてしまうものかと思っていたけど、
    違うんですね。
    瞬間的に眠ってしまうことがあることを身を以って知りました。

    交通事故で人を殺しても故意ではないという理由もあり、
    司法も社会も死亡事故に対して甘い。
    でも交通事故は犯罪に入ると思います。
    もし人を殺していたら・・私は犯罪者になっていたのです。
    その人の人生を奪ってしまっていたのです。
    殺した人の周囲の人たちをも傷つけていたのです。

    誰も歩いていなくて本当に良かった。
    誰も傷つけないで本当に良かった。
    今まで自分が事故を起こさなかったのは、
    ただ運が良かっただけなのだと思いました。

    もしかしたらあれは警告だったのかもしれません。
    自分が事故を起こすことばかり考えて、
    自分たちが被害を受けるなどとは考えもしなかった。
    何の根拠もなく、
    自分たちは絶対に事故に遭わないと信じ込んでいた。
    お気楽だった自分を責めるばかりですが、
    せめて他の人たちには、
    自分たちのような思いはしてもらいたくないと思います。

    みなさま、睡眠不足が悪いのはお肌だけではありませんのよ。
    体調の悪いときには、運転は控えてくださいね。

    2005/05/17(火) 17:23:28
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    ホームにて
    - 2005/05/08(Sun) -
    今日は用事があって大阪へ行きました。

    ホームを歩いていると、尼崎行きの電車の案内が。
    脱線事故がなければ気にもとめないであろうアナウンス。
    駅の構内にいた多くの人たちのなかには、
    知人や友人が巻き込まれたという人もいたことでしょう。

    事故の被害者や周囲の人たちは、
    これからも続くと思っていた日常が突然失われ、
    茫然自失の日々を送っておられる人も多いと思います。
    現実を受け入れて、強く生きるようになれるまで、
    長い長い時間が必要でしょう。

    数年前の記憶が蘇ります。

    おそらは、なかなか人に自分の思いを話せませんでした。
    同じような経験をしている人は別として、
    周囲の人たちと自分の間には、
    埋めようのない溝があるのを感じていました。

    でもきっかけがあり、
    何人かの友人たちに話を聞いてもらったことで、
    少しずつ自分の背負っていた重い荷物を降ろせるようになりました。
    それでも、いくら話しても、
    やっぱり分かってもらえないのだと感じる時もあります。
    でも立場を逆に考えれば、
    自分が経験していない人の悩みや苦しみを、
    自分だって全て分かる訳がないのです。

    理解は出来ないけれども・・・

    話を聞くことは出来る。
    話を聞いて、
    想像することは出来る。

    友人たちは重い重い私の話をただ聞いてくれた。
    そして私の苦しみを想像してくれた。
    救われた思いがしました。

    例え全て理解出来なくても、
    話をすることで、
    その苦しみを想像することで、
    広くて深い溝も小さな溝にすることが出来るのです。

    友人たちも話を聞くことが重かったことでしょう。
    よく付き合ってくれたと思います。
    そんな友人たちがいてくれたこと、
    心から感謝しています。

    2005/05/08(日) 20:08:06
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