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    ふーちー
    - 2006/11/30(Thu) -
    20061130.jpg

    いつの間にか家族が、壁に貼り付けていた写真。
    何を撮った写真かと思っていたけど
    猫を撮った写真だった。

    この猫の名前はふーちーと言う。
    4年前の夏に公園に捨てられていたのを拾ってきた。

    ところがなんと、
    この猫はてんかん持ちだった。
    3、4日おきに発作が出て、一度発作が起こると2日間は何度も繰り返す。
    小さな体なのに、どうしてあんな力が出るのだろう。
    小さな体にはかなりの負担。

    昼も夜も関係なく起こるので、発作の時には睡眠不足でふらふら。
    薬を飲ませ続けたけれど、全然治らず。
    それでも少しずつましになっていったような気がする時もあった。
    やっぱり薬のおかげなのか、12月になってからは、なんと、一度も発作が起きず、
    このまま治ればよいな なんて考えていた。

    そして3週間、何も起きず、
    生まれてから初めての幸福感を味わうかのように
    のんびり陽だまりで寛いだりしていて、その姿を見ると私も嬉しかった。

    だけどやっぱり幸せな時は続かなくて、
    日向で眠っている時、また発作が起きた。
    それはそれはものすごい大発作で
    一気に溢れる緊張感。
    二人がかりで押さえつけ、
    ふーちー専用のゲージに入れて、発作が鎮まるのを待つ。
    だけど久しぶりの強い発作で、痙攣が続いて、
    しばらくは押さえていなければならないほど。

    それでも少し治まり、やれやれと少しの間目を離した隙に、
    ふーちーの命は消えてしまった。
    何故最後まで傍にいてやらなかったんだろうと
    二人で泣きました。

    だけど悲しいのと同時に、ほっとする気持ちもあったのです。
    子猫1匹の世話が、本当に大変だったから。

    そして火葬にして、庭の片隅に餌と一緒に埋めてやった。

    そして
    次の日の夜のこと。

    ・・明日に続く・・

    2006/11/30(木) 20:41:42
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    手話で親子フォーラム
    - 2006/11/16(Thu) -
    通っている手話サークルの近くの小学校での親子フォーラムに、
    手話サークルが協力しました。
    これがきっかけとなって、
    手話を始めてもらえたら嬉しいかな?

    今日の子どもたちは2年生。
    元気いっぱいでかわいいの~~。
    それぞれの個性を持った子どもたち。

    数人の子どもたちにも参加してもらって
    声のない寸劇で引きつけた後、
    声をつけてもう一度劇。
    その後簡単な手話をみんなで勉強して
    さんぽ (トトロの歌です) の手話コーラスをみんなで!

    と40分の間 けっこう充実した内容だったと思います。

    子どもたちはノリノリで
    一緒に手話してくれたけど、
    お母様方の中には、冷めた目の (そう見えるだけかな?)
    全く手を動かそうとしない人もいる。

    でも、今日はそういう人は少なかったらしい。
    いつもはもっとしらけた感じの時もあるらしい。

    日本人は表情が硬い人が多いですね。
    体を使った表現が苦手な人も多いです。
    表情を出したり、体を動かして表現することで、心も弾けてくると思うのよ。
    もっと手や体を動かせば、心も変化してくると思うのだけど。

    その時間を楽しむということも、
    いろいろな事情があって、出来ない時もあると思う。
    自分のスタイルを持っている人だっているだろうし、
    明るく元気が一番良いとは思わないけれど、

    少しずつでも、どんな方法でも、
    自分を表現することが出来れば、
    きっと自分の世界も変わっていくのではないかと
    表情の少ないお母さん達を見て、
    ふと 思った。

    2006/11/16(木) 18:10:30
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    なんでこんなことを
    - 2006/11/12(Sun) -
    Google Earth をダウンロードしてみた。
    まずは自宅の住所を入れてジャンプ。
    絶対に見られない光景が画面のなかに現われてくる。

    リアルタイムの映像ではないけれど、
    パスポートも持っていない私が、
    世界のどこにでも飛ぶことができる。

    面白いので、いろんな場所へ行ってみた。
    試しに、「日本」と入れたら、岐阜県のあたりに飛びましたよ。
    あの辺が日本の中心なんですね。

    近づいた時の写真が鮮明であれば、
    もっと面白いだろうなあ。


    でも 複雑な気分にもなってしまった。

    自宅の次にどこへ行こうかと考えた時、
    真っ先に思い浮かんだのは
    加害者の家。

    一度一人で尋ねていったことがあるけれど
    彼が私の家に来たのは事故の翌日だけで
    それからは一度も来たことはない。
    命日に花を送ってくることも
    手紙を送ってくることもない。
    生きているのか死んでいるのかもわからない。

    もう顔を見ることもないまま数年経っているのに
    一番不愉快に思う相手であるのに
    一番気になる相手でもあるのだ。

    Google Earthを見て
    加害者を思い出す自分。
    ああ情けない。

    あんまりあほらしいので
    (Google Earthで)行きはしませんでしたけどね。

    被害者側が望む場合には、
    罪を犯したものは被害を与えた側に対して
    自分がどこに住み、どのような生活をしているか、
    報告することを義務付けて欲しいものだと
    私は思う。

    2006/11/12(日) 19:28:41
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    最近
    - 2006/11/10(Fri) -
    最近、久しぶりに会った人からよく言われる。
    「綺麗になったね」

    ・・・・嘘です。

    本当は、
    「(聞こえが) 前より悪くなったね」 なんです。

    自分でもわかるけど
    久しぶりに会った人は特によくわかるみたい。
    以前は話が普通にできていたのに、
    今は近づかないとわからないし
    複数の会話では、同じテーブルにいてもさっぱりわからない時も多い。
    静かな個室だとましなんだけど・・。

    だからだんだん、人と距離を置くようになってきました。
    会っても、会話の内容がわからないと、面白くない。
    もっと話をしたいし、聞きたいことは沢山あるのに、それが出来ない。
    今までは落ち込むばかりだったのに
    最近は少しイライラするようになってきました。
    「逆切れ」 状態ですね。

    友達のろう者が、
    「健聴者に合わせて話すの嫌」 と言う気持ちがよくわかる。
    大声で話をするのもされるのも苦手だけど、相手に対しては、
    「もう少し大きな声ではっきり話してよ!(怒)」 に近い感じを持つ。
    矛盾してますね。

    とは言っても、本当はそんなに怒ってはいないのです。
    ただ 寂しいです。

    懇親旅行、懇親会、飲み会、いろいろな集い などには
    聞こうとがんばるとストレスが溜まるので
    あまり行かなくなってしまいました。
    人数が多ければ多いほどどんなに聞こうと努力してもわからないし、
    もう 諦めました。
    難聴者の中には勘だけに頼って、ワイワイ楽しめる人もいるけど
    私はまだその気になれません。
    修行が足りないですね~

    とグチグチ言ってますが
    何とかしようという気持ちの炎は
    静かに燃やし続けています。

    2006/11/10(金) 21:40:02
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    11月8日
    - 2006/11/08(Wed) -
    目標にしている人
    いらしゃいますか?
    誰しも、何人かはいると思うのです。
    こんな人になりたいと思う人、或いは憧れている人。

    歴史上の人物かもしれないし、
    TVでよく見かける人かもしれないし、
    作家かもしれないし
    医者かもしれないし
    身近にいる人かもしれない。

    私にも何人かいますが、
    一番近づきたいと思う人は、

    笑われるかもしれませんが
    息子です。

    子どもを自慢するなんてこと、したことはないのですが、
    今日だけはしたいと思います。

    息子 (どじと呼ばれていました) は交通事故で
    9年前の今日、9歳で亡くなりました。

    小学校3年生でしたが、背が高く
    顔つきも大人びていたので、
    時に中学生に見られる時もありました。
    見かけだけではなく
    中身も少し大人びていたと思います。

    一緒に暮らす私には、
    まだ幼い部分も見えていたし、
    何と言っても9歳。
    未熟な面もありました。

    ですが人間的には
    私より優れていたと思います。
    亡くなってから多くの人に
    私の知らない一面を教えてもらい、
    私が感じていたことは正しかったのだと知りました。

    きっと味のある大人になったに違いない。
    自分も周囲の人達も
    喜びのある人生を過ごしたに違いない。
    そう思える子どもだったのです。

    夢も可能性もあった子どもを
    一瞬にして奪い去った交通事故。
    無念です。

    ですが 起こってしまった時間を取り戻すことはできない。
    だからせめて、まだ生きている私は
    息子を目標に生きていきたいと思います。
    あの笑顔を自分の心に置いて、生きていきたいと思っています。

    2006/11/08(水) 16:51:38
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    お引越し
    - 2006/11/08(Wed) -
    11月8日 晴れ

    今日は雲ひとつない青空でした。
    9年前のこの日は、風が強く、青空に雲がどんどん流れていきました。


    今日は息子の命日なのです。
    早いもので、
    息子の人生と同じ時間が過ぎてしまいました。

    9年の間には得たものも失ったものもあり
    良かった面も悪かった面もあります。

    聞こえる世界からだんだん聞こえない世界に足を踏み入れて、
    一つの人生で違う体験ができるということはお得かも、とも思うけれど
    一つの命を失うことでそうなってしまったのだから
    あまり喜ばしいことではない。

    それでも
    ころんでも何かを掴んで立ち上がりたいもの。
    いつまで続くかわからないこの人生だけど
    日々を味わいながら生きていきたい。
    と同時に生きるのは面倒だという気持ちも持ち合わせている。
    相反する面がある、というより分裂していますが、どれも私自身です。
    (血液型もABですから)

    その自分の気持ちを全て文字にしようとすると、
    読み手に自分の重さを押し付けるようで
    なかなか書けないものでもあります。
    そこで別に、事故関係のことだけを書こうともう一つブログを作ったのですが、
    やはり分けられないことに気が付きました。

    どんな面も全て私であるわけなので、
    分けるとどうしても何か足りないものになる。

    そこで二つのブログを、一つにまとめることにしました。
    このブログは今日で止めて、別の住まいに移ります。

    2006-11-08
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    寒がりなので
    - 2006/11/04(Sat) -
    20061104.jpg

    猫が
    膝の上に飛び乗る季節。

    だけど
    今年はあたたかい。

    まだストーブが要らない。

    2006-11-04
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    黙っていればよかったのに
    - 2006/11/03(Fri) -
    障害者手帳を持っていなくても、
    必要があるのだから
    手話通訳や要約筆記の派遣をお願いできるように
    市役所に相談してみたらと、
    何人かの人にアドバイスを受けて
    行こうと思っていたのだけれど、

    それをある人に言ったら
    その人が市の担当者に会ったときに
    ついでに聞いてみたらしい。

    そうしたら
    「手帳がないと無理」 と即座に言われたそうです。

    ああなぜ
    私はその人に話してしまったんだろう。

    自分が行って相談すれば
    無理だとはわかってはいても
    不満ながらも納得できるだろうに。
    なんだか行く気が失せてしまった。

    と ブツブツ言っている 今日です。
    お天気良いのにねー

    2006-11-03
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    鈍い
    - 2006/11/02(Thu) -
    友人のろう者が
    私のような人とはどう話していいかわからないと言ってきた。

    聞こえる人と話す場合、声を出してくれるろう者は多いですよね。
    彼もそうです。
    でも私のような難聴者の場合は、
    声が聞こえるのか、出さない方がいいのか、迷うそうです。

    私は声を出してもらっても、
    あまり聞き取れないんですよね。
    その声を聞き取ろうと努力しながらの手話の読み取りは
    けっこう難しかったりするんです。
    それに、声を出しながら話をしてくれている時、
    手話が止まってしまう場合には、意味がわからなくなってしまう。

    だから声なしの方がいいかも?
    とは答えたけれど
    手話の読み取りも不完全だしね~
    ああ 努力不足を感じます。

    ろう者は
    手話学習者の不完全な手話でも読み取れますね。
    私には意味がわからなくても、
    彼らはちゃんと読み取ってますもんね。
    勘がいいんだなー

    読み取りの技術もだけど
    勘を磨く努力もしなければね。

    でも どうやって・・??

    2006-11-02
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