躾け方教室
    - 2007/05/30(Wed) -
    死んだ犬は雄で、ケン という。
    秋田犬が混じった雑種だ。
    中型犬で、庭で座っている姿は、ビクターの犬に似ていた。

    一緒に引き取ったもう1匹は雌で、ユメ といい、芝犬だった。

    引き取ったときは、ケンが5歳、ユメが13歳。
    亡くなった友人は山の中腹の住宅地に住んでいて
    子どもたちと一緒に引き取りに行った。
    ワゴンの後ろに2匹を乗せ、家までの40分くらいの間
    落ち着かない犬を子どもたちがなだめながら 帰ったんだ。

    高齢のお父さんひとりでは世話できなくて、
    毛が抜けて皮膚病もあり、汚ない犬だった。
    ユメはおばあさんの顔をしていたなあ。
    手入れして 薬も塗って、少しずつきれいになってきたころに
    今度は躾をと、県の施設がおこなっている、犬の躾け方教室に行った。
    そこに行ってちょっと驚いたことには、
    来ている犬は、雑種なんて1匹もいなくて、
    見るからに高そうな犬ばかり!
    そして飼い主の人達も、オシャレな服に身を包んだ
    裕福そうな人ばかり。
    そう見えただけなのかもしれないけれど、
    2匹がますますみすぼらしく思えたよ。
    場違いなところに来たかな~と一瞬思ったけれど、
    大切なことは躾をすることで、見かけじゃない。
    きちんと指導を受けたら、きちんとした犬に即変身で、驚いた。
    さすがです。

    けれど、
    そこで教えてもらえるのは飼い主の犬に対する躾だけ。
    それ以外は自分で注意するべきものではあるけれど、
    飼い主と犬の関係だけではなく、
    車や人など他者との関係も考慮に入れて、指導した方がいいのではないかと、思う。

    以前の私のように、多くの人が、
    自分達は事故には関係がないと漠然と思っているだろう。
    でもそうではなくて、
    たまたま、事故に遭わずに済んでいるだけ。
    犬を飼っている人は、どうか注意して下さいますように。
    原因がドライバーにあっても、事故が起こってしまったら
    取り返しがつかないのだから。

    2007/05/30(水) 16:54:04
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    - 2007/05/28(Mon) -
    人でも動物でも
    自分の腕の中で最期を迎えてやれるのは
    稀で とても幸せなことだと思う。

    家族の腕のなかで命を終えたのは
    犬にとっても その家族にとっても
    とてもよかったことではないかと思う。

    犬は怖かったんだろうね。
    本能的に死ぬことが。

    でも死は怖いものじゃない。
    肉体から離れるだけなんだと思う。
    人でも動物でも
    魂 (という言い方でいいのか?) は
    肉体を離れると 
    高次な存在になるような気がする。
    素 になるというか、純粋なものに。
    今まで経験してきたことから
    なんとなく そう思うのだけれど。

    そのときに 
    全てが理解できるような気がする。
    魂は本来美しいもの。

    でも 生きている間に
    その世界で気が付かなければならないことはあるはず。
    だから 気がかりなことがあったら
    気になったときには 行動したほうがいいと思う。
    するべきことをしなかったことに
    死んでから気が付いても 遅いのだ。
    生きているからこそ できること、
    しなければならないことはあるのだから。

    2007/05/28(月) 09:12:22
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    - 2007/05/26(Sat) -
    犬が死ぬ前の夜、
    もう、今夜あたりだろうと感じた家族のひとりは
    犬をブラッシングしてやった。

    でもブラッシングすると体のあちこちから
    膿が噴出してくる。

    体の片側にじょくそうができたから、
    その方を上にして寝かせていたのに、
    その上側の皮膚さえも ひどい状態になりつつあった。

    そのせいか、犬の匂いが沁みついて取れないと言う。
    家全体に犬の匂いがあると言う。
    私にはわからない。
    私は 鼻はいいほうで、匂いは敏感に感じるけれど
    強く感じていたのは線香の匂いで、
    犬の匂いはあまりわからなかった。

    寝かせていた玄関はまだ掃除していなかったから
    そこに匂いがついているのかもしれないと
    その家族は 夜、水を流して掃除をしていた。
    ドアを開けて、外には犬を看取ったもうひとりの家族もいた。
    そのとき、
    その犬が一声
    「ワン!」 と吠えた。

    と 
    二人が言う。

    斜め向かいの家でも犬を飼っているから
    その犬かもしれないけれど、
    死んだ犬の声で、耳元で聞こえた と言うから
    多分 死んだ犬が吠えたんだろう。

    聞こえたんだね。
    よかった。

    2007/05/26(土) 16:49:02
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    火葬
    - 2007/05/25(Fri) -
    犬が死んだよ。

    昨夜0時半ごろだったらしい。
    私は眠っていて知らなかった。

    ちょうど家族の1人が起きていて、
    犬が吠えるので様子を見に行ったら、
    息も絶え絶えという感じで、
    体に触れて名前を呼びかけているうちに 死んでいったそうだ。

    苦しかっただろう。でも
    命を終えるときに
    傍に誰かがいてくれたから、
    少しは安心感があったかもしれないね。

    火葬してもらって、骨を拾い帰ってきた。
    今まで飼ってきたペットのなかで、火葬したのはこれで3匹目。
    山に埋めてやった動物も数匹いる。
    本来なら、野や山に埋めてやるのが一番のような気がするけれどね。

    人も含めて、何度もやったお骨拾い。
    熱い熱い台の横で、
    あの時は・・あの人の時は・・などと考えていた。

    施設の人に
    この犬と一緒に散歩に行った息子は、事故に遭って死んだんです。
    私は 息子の骨を拾ったんです。

    ふと言いたくなった。
    ただ聞いてもらいたかった。

    でも やめた。

    2007/05/25(金) 17:42:54
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    人間扱い
    - 2007/05/23(Wed) -
    先日、ある場所で。

    会話は手話で。
    横にいた要約筆記者がノートテークもしてくれた。
    頼んだわけではないけれど、
    そうするのが当たり前のように書いてくれた。

    だから手話が読み取れないときには
    彼女の書いたものを見れば、理解できる。

    手話や要約筆記が当たり前で
    不自由なく会話ができる喜び。
    改めて、
    会話ができることの嬉しさ
    サポートしてくれることのありがたさを感じた。

    聞こえる人が普通に会話をしている時と同じ状況を
    自然につくってくれるので、
    こちらも気兼ねする必要がなく、
    当たり前のこととして受け止められる。

    なんだかちょっと感動した。
    久しぶりに 人間扱いされたように感じたよ・・

    と こういう書き方は適切ではないかな?

    聞こえない人が特殊という意味ではないし、
    気遣ってくれている人に対して、
    配慮が足りないと言っていることでもないのです。

    ただ
    こちらが必要なときに
    必要とするものが自然に得られるのは
    なんて気持ちが楽なんだろうと思ったのです。

    聞こえにくいことくらい、どうってことないとも言えるけれど
    会話をしたい場合は やっぱり不便だし
    難聴を説明しても全て理解してもらえるわけでもない。

    堂々と自分の権利を主張するほど障害が重いわけでもない と、
    自分で自分に線引きをして遠慮してしまう。
    自分が足りない人間のように思えてくる。

    そんなこと考えずに
    もっと厚かましくなってもよいのだけどね~
    というより
    自分の権利は自分が守っていかなければね。

    2007/05/23(水) 16:24:45
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    許す
    - 2007/05/22(Tue) -
    書きたいことはたくさんあるけれども
    なかなか 落ち着いてパソコンに向かえない。

    犬のことを書こうかな。
    いつも犬のことばかりで申し訳ないけれど。

    ところで 腰痛は回復しました。
    ご心配ありがとうございました。
    熱も出ていたし、痛んでいた間、とにかく
    これでもかというくらい 眠れたので、
    疲れで腰痛もでていたのだと思います。

    なにかと忙しかったこともあるけれど
    精神的ストレスが大きかったのかもしれない。
    ストレスも常に持っているのが普通の状態だけど、
    最近は犬の具合がよくないので、特に感じていたのかも。

    痛がるのですよ。寝たきりだから。
    体位交換しても痛がります。
    食欲も徐々に落ちてきて
    ああ この犬は今 死に向かっているのだなと思う。

    生まれるときも痛みなら
    死ぬときも痛みを伴うのが普通なのだろうか。
    大往生で死ぬことができるのは 幸せだ。
    人間も同じですよね。

    だけど死に方で、その人の人生がどうだったかなどは決められない。
    加害者だって (今生きているかどうかはわからないけれど) 
    多分死ぬ前には介護を受け、人の世話になり、穏やかに死んでいくだろうしね。
    許せない気もするけれどね。

    犬のことで私が悩み 耐えていても
    なぜ加害者は何も知ろうとせず 謝罪にも来ず
    自分のしたことを忘れて 暮らせるのだろう。

    世の中は不公平だ。
    天罰が当たるなんていうけれど、
    当たるべき人に当たらないこは ざらにある。
    でも自分に 何か悪いことがあれば
    罰が当たったように 感じたりもしてね・・・ 

    加害者もそう思うときがあるのだろうか?
    何を思って生きてきたのか 私には知ることができない。
    裁判所で出会ったあの姿からは
    多分何も考えたりはしていないだろうとは思うけれど。
    加害者と話がしたい。
    でも私から行かなければ、彼は一生、来ることはないのだ。

    前のブログで紹介した

    「人ひとり 許すと ひらけゆくこころ」

    人を許すことは なんて難しいのだろう。
    人を許せるような 人間でもないけれど。

    2007/05/22(火) 00:00:27
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    本能
    - 2007/05/14(Mon) -
    犬は立てない歩けない。
    完璧な寝たきり老犬です。

    ところどころに じょくそう (床ずれ) ができ
    膿が出ている。
    その匂いにハエが寄ってくる。
    薬を塗っているけれど、
    これからの季節、卵を産み付けられはしないだろうか。

    餌のところまで自力では行けないので
    口元に持っていってやる。
    量は以前と比べて減ったものの、食欲はある。
    立ちたいのに立てないのがもどかしいのか
    足を床に打ちつけ振り回しながら何度も吠える。
    それは他人が聞いたら、すごく哀れと思える声だろう。

    外に出していたとき、通りがかりのおばあさんに
    「どこにも連れて行ってやらないの?」 と聞かれた。
    いつも家の前を通るおばあさんだ。
    犬を気遣ってくれている。
    そういう人は けっこういて、
    見たこともないような人から、声をかけられる。
    その度に、
    「もう歩けないんです」 と答えている。

    「どこにも連れて行ってやらないの?」 
    悪気はないのはわかっていても 
    その言葉に 痛くなる。

    犬は人につくという。
    世話をされていても、
    愛されていないと感じる犬は 悲しいだろう。

    安楽死という方法がある。
    今お世話になっている獣医さんは
    それぞれの家庭の考えがあってのことだから、安楽死を否定しないと言う。
    私も考えないわけじゃない。
    痛みに耐えて生きることは 犬にとって幸せなことではないと思う。

    競走馬も重度の骨折をすれば、安楽死させられる。
    馬にとって立てなくなることは、死を意味する。
    競走馬のように 走るためにつくられた生き物を
    介護して生かせることは、苦痛を与えるだけだ。
    だから人間の手で、命を終わらせる。

    動けない犬も 苦しいだろう。
    生きていることは 苦しいだろう。

    だけど・・と思うのだ。
    人間なら、生きていたくないと思う場合だってある。
    でも動物が、死にたいなんて思うだろうか。
    そう思えるのは 人間だけなのだ。
    人間だけが、自ら死を望むのだ。

    考えれば考えるほど わからなくなってくるけれど、
    ただ思うことは
    生きているものは 生きたいと願うものだということ。
    それは命あるものの本能だから。

    2007/05/14(月) 22:41:08
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    水琴窟
    - 2007/05/09(Wed) -
    時々、耳鳴りがする。

    いえ 違う。
    正確に言うと、耳鳴りはいつもしている。
    比較的高い音で、
    いつもしているその音は日常となり、気になることはない。

    だけど時々 違う音がするときがある。
    血液の流れに合わせたリズムの、低い音。
    何かの機械音と間違えそうな ブー という音。
    海鳴りのような ゴー という音。
    急に耳に響く ピー という 鋭く高い音。

    そしてこの前経験した
    初めての耳鳴りの音は、

    金属の楽器を叩いたときのような
    共鳴しあっているような 美しい音だった。

    美しい玉が転がっているみたい。
    このまま この音を聞いていたい・・・
    そう思えるような 響き。

    その音を聞いて
    ある音を思い出した。

    以前住んでいた家は、門扉を開け、90度左へ曲がって、玄関のドアへと続いていた。
    門扉を入ったところには植え込みがつくられてあり、アセビやツツジの低木が植えられ、
    端には散水栓が備えられていて
    その手前には下水道の汚水ますがある。

    家庭排水は下水道管に流れる前に、まず汚水ますに集められる。

    下水道工事のときに、まずそこに汚水ますがつくられたが
    その後家を建て替えた時に、汚水ますは別の場所に設置され、
    その最初のますは使われないままとなっていた。
    蓋はコンクリートで出来ていて、蓋を開けるときの持ち手としてか、
    2箇所に穴が空いている。
    植え込みを作ったときに、その蓋の上に小石を敷き詰めて
    手洗いできる場所とした。
    そこに水を流すと、水は汚水ますの中に流れ込む。
    そのときに、とてもよい音色がするのだ。

    ざばざば流しちゃ聞こえない。
    柄杓にためて、少しずつ流すようにするのがいい。
    汚水ますの中から、水が落ちたときの反響音が聞こえてくる。

    その音は まるで水琴窟のようなのです。
    耳鳴りで その音を思い出しました。

    もういちど あの音を聞いてみたい。

    2007/05/09(水) 16:34:13
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    欧米か?
    - 2007/05/02(Wed) -
    先日、高島屋に たけさん の個展を見に行ったとき。
    その場でたけさんが ポストカードを描いてたんですね。

    こういうものとか
    20070502.jpg

    いいねー と見ていたら
    机の上の何枚か描いてあったカードのなかに
    「欧米か!」 
    という言葉が書いてあるものがあって、

    何?
    ??
    と思ったものの
    別の話に進んだので、その場ではわからないままだった。

    そして数日後、
    テレビを眺めていたらその言葉が出てきて、
    ん? これはギャグなのか?
    と 気が付いたわけ。
    (^^)

    そこで家族に聞いたら
    「カタカナ言葉とかを言ったときに使うギャグ」
    という なんとなくわかるけどあまり要領を得ない答えが返ってきたので
    ネットで調べてみたら
    なーんと
    yahoo辞書に載ってるじゃん。

    若手漫才コンビ・タカアンドトシのもちネタ。
    タカが欧米人のようなジェスチャーをしたり、カタカナ語を多用したりすると、トシが「欧米か!」と頭を叩きながらツッコミを入れる。
    現在の日本語でカタカナ語を排除して会話をするのはほとんど不可能に近いが、このコンビはそれを逆手にとってネタにしているのである。
    2006年半ばごろに定着した人気ギャグだが、最近では「南米か!」、「ラテンか!」、「ロシアか!」といったバリエーションも登場している。


    去年からあるギャグだったとは・・・
    知らなかった。
    ウチのテレビは字幕つきじゃないので、テレビは私にとって
    ”眺めるだけのもの” となっている。

    だからテレビが横でついていても
    パソコン眺めたり本読んでたり新聞読んでたりしている。
    声がはっきりわかるわけじゃないから
    面白いギャグを言っていたとしても 全然聞き取れないのでわからないまま。
    特にお笑いの番組は、言葉が早すぎて理解不能だから見ないし!

    字幕がついてたら、もっとテレビを見るようになるかな?
    買い換えたらいいんだけどねええ。。。。

    ということで話は変わります。

    よく複数で人と話している時に、
    相手の言うことがどうしてもわからないとき
    別の人に聞く、ってことがあるんです。
    なぜかと言うと、
    その人の声質が私にとって聞きづらかったり、
    ちょっと離れていたり。

    離れている場合は仕方ないけれど、
    すぐ前で話しているのに隣の人に通訳してもらう(日本語で)って
    なんか変・・・・。
    逆に私が聞き取れず聞き返している時に、隣にいる人が通訳する(日本語で) 
    これも変。

    私は外国人か? 
    欧米か!
     
    (変則的な使い方でしょうかー?)

    やっぱり基本はその人と自分が話すことですね。
    聞き取れなかったら
    ジェスチャー、筆談、方法はいろいろあるのだから
    相手と話すことをまず大切にしたいと思う。

    2007/05/02(水) 12:22:50
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