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    勘違い
    - 2008/05/31(Sat) -
    たけさん のブログに最近出てくる
    雪絵ちゃんの詩 は以前から知っていて、
    山元加津子さん のHPも以前から時折覗いていた。

    雪絵ちゃんにも たけさんの言うことにも
    共感する部分が多いと思っていた。けれど
    それは勘違いなのだと最近気が付いた。

    ふたりは
    動かない自分の体に感謝する。

    でも私はというと
    歩ける体、見える目、話せる自分や
    病気そのものに感謝することはあっても、
    既に悪い部分に対しての感謝はない。

    病気で苦しければ辛い。
    聞こえにくいと不便。
    他の健全な部分には感謝をしても
    悪くなってしまった部分に感謝することは殆どない。

    自由に動く手や足に
    動くことができてありがとうとは言える。
    見える目に
    多くのものを見せてくれてありがとうとは言える。
    けれど聞こえにくい耳に
    聞こえにくくなってありがとうとは言えない。
    それまで聞こえていたことにも
    心から感謝することはできない。
    でも言葉では
    感謝していますと幾らでも言えるから
    本当にそう思っているのだと勘違いする。

    言葉の表面をまとっているだけでは
    真の理解ではないね。

    なかなかふたりのようには思えないけれど

    聞こえにくい耳に感謝してみた。
    聞こえにくいことに対してではなく。

    不思議なことに
    自分を許せるような気になった。

    2008/05/31(土) 13:28:55
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    利用
    - 2008/05/24(Sat) -
    前の記事のおばさまと出会った地下鉄には
    ある貼り紙がある。

    「ハンカチを落とす手口のスリが多発しています。」

    何度も目にしていて知ってはいたけれど
    このときはすっかり忘れていて、
    後でそうだったっけと思い出した。

    勿論おばさまは
    スリの仲間ではありません。

    注意が必要だと知っていても、思わず拾っちゃうものだなと、
    私みたいな人間はいいカモだなとしみじみ思った帰り道。
    それで
    人の善意を利用する人間がいることを考えた。
    それから
    人の不幸を利用する人間もいるということを考えた。
    そして思い出した。
    阪神淡路大震災の時のことを。

    多分地震の少し後だったと思うけれど
    避難所の前でおにぎりを販売した人がいた。
    まだ救援物資も届かない頃。

    高い値段で・・・だったように思うけれど
    私の記憶違いなのかもしれない。
    でも例え安かったとしても、
    何も持ち出せずに逃げて来た人が大勢いたわけだし
    瓦礫となった街の避難所には
    家族、友人を亡くした人も大勢いたわけだし。
    怪我をした人も行方不明の人も大勢いたわけだし。

    そんな時に そんな場所で
    おにぎりを売るという行為が許せないことのように思えた。

    私は一人怒っていた。
    でも友人は何故私がそんなに怒るのか、理解できないようだった。
    私こそその友人が
    何故腹を立てないのかが不思議だったけれど。

    あの街を見てお金儲けのことしか考えないなんて
    あまりにも心が貧しすぎると思ったし、
    そういう人を見て、冷めた目で見ているだけというのも
    あまりにも冷淡だと思ったし。

    とはいえ、自分は現地では
    何もできなかったのだけれどね。

    人にはそれぞれ事情があるものだし
    人のすることに対して、
    「それは間違いだ」 と言い切ることはできないし、
    自分が正しいと思うことを人に強要などはできないけれど、

    せめて私は大きな不幸の中にいる人に対して
    食べ物を売るような生き方はしたくないし
    絶対にしないでおこうと思うのだ。

    2008/05/24(土) 22:40:46
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    ある日
    - 2008/05/21(Wed) -
    地下鉄の通路を歩いているとき
    前を歩いていたおばさまが
    ハンカチをはらりと落とした。

    思わず拾って声をかけた。

    でも気付かなかったようで、
    追いかけて、肩をたたいて
    ハンカチを渡す。
    びっくりしたような顔で
    私を見るおばさま。
    そして嬉しそうに、御礼を言われた。

    丁度私が行こうとしている場所と
    そのおばさまの行こうとしている場所が同じで

    その場所の受付の
    上品な感じの受付嬢が
    上品な声の大きさで案内を言ったとき

    聞き返したところで聞き取れない私は適当に判断し
    適当に相槌を打つのだけれど
    そのおばさまも なんとなく私と同じ雰囲気で
    なんとなくぎくしゃくしているから、
    ああこの方も聞こえが悪いのだなと
    でも 聞こえませんという言葉を言えないのだなと
    わかってしまった。

    私よりは聴力は
    このおばさまの方が断然上だと思うけれども。

    上品な声が全ての人に通じるものではないということを
    多くの人と接していても
    この受付嬢は想像することはないのかもしれない。

    おばさまも聞こえるふりをしなくてもいいように
    自然な感じで聞こえないことを
    伝えられるようになれたらいいけれど
    けっこう難しいことでもあると思ったり。

    別の場所のコーヒーショップで
    並んで順番待ちをしているとき、
    なんとなくレジの女性を見ていた。
    若くて笑顔の素敵な女性で
    ハンバーガーショップのお姉さんのような
    慣れた笑顔ではないけれど。

    私の2人前は年配のおばさまで
    順番待ちをしていたときからずっと
    何にするかメニューを見ながら考え中。
    そしておばさまの番になり、
    でも直前まで迷っていたらしく、
    ほんの少し注文するのに時間がかかる。

    するとそのレジの女性、
    さっきまでの笑顔から
    瞬時に変わった冷たい表情。

    注文を受けたら
    さっと笑顔に戻ったけれど。

    待っているときの彼女が
    本当の姿であるのかなと
    自分の番になったときには
    聞き漏らすことがないように
    なんとなく緊張したりして。

    かわいい女性なのに
    もったいないなと思ったけれど
    自分も若いころは
    そんなときがあったのかもと思ったり。

    2008/05/21(水) 00:10:26
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    記憶
    - 2008/05/11(Sun) -
    生まれてからの記憶は全て
    脳にインプットされているそうですよ。
    記憶力と、起こったことの記憶は別のものだそうです。

    脳みそをどこかに置き忘れているような私でも、
    生まれてからの出来事は、全て覚えているらしい。
    そういえば以前、すっかり忘れていたあることを、
    友人の一言でひとつのことを思い出してから、
    ずるずると芋づる式に、あれもこれもと思い出したことがあったっけ。
    引き出しの奥深くにしまい込んで、その存在すら忘れていた記憶。
    友人の言葉がきっかけで、引き出しをあけたことによって
    思い出したということなのでしょう。

    夢ではっきりと思い出すこともありますね。
    失ってしまったような記憶でも、夢を端末として出てこれるんですね。

    死ぬ直前に、生まれてから今までののことを走馬灯のように思い出すという、
    死にかけた人、または蘇生した人の話をTVや本で目にしますが、
    埋もれていた記憶が命が終わる前に、一気に溢れてくるということなのでしょうか。

    息子も思い出したのかな。
    一瞬だったけどどうだったのかな。

    と考えたりするけれど、
    その話はまた別の機会にして、

    死ぬ前しか思い出せないなんて、それはあまりにももったいないことだと思う。
    全て思い出したら辛い・・・・こともいっぱいあるけれども
    記憶を封印してしまったら、過去を生かすこともできないのではないかと思う。

    私の場合のそれに関する最大の失敗は、やっぱり息子の事故。
    玄関で見送ったときに感じた不安感。

    多分 それは、過去の様様な出来事や知識が
    意識の底で警告を発していたのではないかと思うのです。
    そのことに気が付かなかった私は、大馬鹿者でした。
    どちらかといえば、記憶を大事にしてこなかった
    そのツケが事故と言う、最悪の形で出てしまったのではないかと思います。

    これは事故の責任を被害者側に転換することではありません。
    念のため。

    私は思い出さなければいけない。
    過去の様様な出来事や感情を。

    思い出していこう と思う。

    2008/05/11(日) 21:05:37
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