10年
    - 2008/07/30(Wed) -
    買い物に行ったら以前住んでいた地域での友人を見かけた。
    誰かと二人連れで、私の知ってる別の友達かな? と思ったけれど違うみたい。
    特に用もなかったし、離れていたので声はかけなかった。

    私がレジで並んでいる時には、
    もうその2人はセルフカウンターで袋詰め。
    出て行く二人をなんとなく目で追っていた時、あ そうだと気が付いた。

    あの女性は彼女の友達ではなく、娘さんだ。

    えーもうあんなに大人なの?!とびっくりしたけれど
    考えてみれば当たり前だね。
    だって息子より1歳上なんだから。
    幼稚園の運動会では、あの子と手をつないで走ってたんだから。

    全然会っていなかったし、
    子供のころの面影しか思い浮かばないから
    成長した姿を見てもわからない。

    あれから10年経ったことは認識しているけれど
    なんだか私自身の時が止まっているようにも思える。

    この10年ほんとうにいろいろなことがあったのに
    空白のようにも思えてしまう。
    対してお腹にいた時からの10年は
    私のなかで生き生きと残ってる。
    その10年に、私自身は病気で辛い数年間を過ごしたし、
    嫌なことだってあった。
    こどもたちとの生活も
    体調が悪くて、疲れた時もあったし、
    未熟な親ゆえに、悩んだこともあったけど
    とても楽しい毎日だった。

    事故からの10年はあっという間に過ぎたけど、
    その前の10年は長く感じる。
    私にとって
    本当に幸せな時間だったんだね。

    その20年を過ぎて
    新たに始まった10年はもう半年を過ぎてしまった。
    少しあせるけど、
    ちゃんと味わって、生きていくよ。

    2008/07/30(水) 23:26:54
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    - 2008/07/28(Mon) -
    今日は2週間分の雨が降った。
    これで湖の水位も少しは上昇するかな?
    梅雨明けしてからの猛暑になかなか慣れず
    体調も低下気味だったけど、
    今日の涼しさで少し回復。

    明日も少し涼しい日になるみたいだけど
    夏は始まったばかり。
    これからまだまだ、暑い日が続く。
    暑いと水の事故も増えてくる。
    ニュースを見る度に、胸が痛む。

    水の事故は思っているより、多いのかもしれませんね。
    遺された家族が、その悲しみを語ることはないから。

    息子が亡くなった時に、
    知人の一人が話してくれました。
    その方は、息子さんを水の事故で亡くされたそうです。

    「浜辺を歩いていた」と
    最後に見た友達が教えてくれた。
    あんな場所で何故?と思うところで溺れた。
    どうしてなのか今もわからない。

    もう30年ほど前のことだそうです。
    溢れるような思いを、誰にも言えずに
    ずっと持ち続けておられたのだと思います。


    眉唾ものの話だけど、
    私も前世で溺れました。
    セーラー服の少年に手をひかれて
    行った先の池で溺れて死んだのです。
    その少年は自分の子供です。
    溺れながら私は思いました。
    これは事故であなたのせいじゃない。
    苦しまないでとね。

    でも遺された人は悲しい。
    その場にいたとしたら、もっと悲しいし、
    苦しい。


    夏休み。
    みんな楽しい思い出をつくれますように。
    夏のこどもたちの笑顔は
    なんといっても最高なんだから。

    2008/07/28(月) 23:40:40
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    準備
    - 2008/07/25(Fri) -
    24日に起こった岩手の地震では
    予想よりも被害が少なくほっとしましたが、
    被災者の方々はまだまだ不安な日々だと思います。
    一日も早く元の生活に戻れますように。

    災害が起こった時には
    健常であれば、助かる確率も高くなるでしょうね。
    障害や病気を持っている場合は
    助けを求めることも情報も得ることもできない場合があります。

    私が一番身近に感じるのは聴覚障害者。
    助けてという声を出せない場合や
    救援物資が到着していても、聞こえないために受け取れないままの場合もある。
    災害が起こった場合の支援マニュアルもできているけど、
    実際に助けを呼ぶための笛などを
    常に持っている聴覚障害の方はいるのかな。

    障害がない人でも、
    大丈夫ここは地震は起きない 
    などと安心していたり、
    活断層の近くに住んでいる人でも
    地震が起これば仕方ないといって
    何の準備もしていない人もいるのです。

    私もついつい日々の生活に追われ
    非常持ち出し袋の点検もまだしていない。
    早めにしなければね。
    そうそう テント買おうかな と
    思いながらも忘れてる。

    今日地震の話をしたので、
    今こういうことを書いているわけですが、
    何事も起こらなければ、いつの間にか油断してしまう。
    他の地域で起こった地震を知る度に
    心配しながらもなんとなく他人事。

    自然災害だけじゃない。
    事件や事故など、
    いつ何が起こるかわからない。

    どんな出来事からも、
    その教訓を生かしていきたいものですね。
    自分の準備が役に立てば、きっと嬉しいだろうしね。

    2008/07/25(金) 22:41:29
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    不自由
    - 2008/07/24(Thu) -
    藤十郎さん のブログを読んで
    あーなるほどなぁと思いました。

    藤十郎さんは聴覚障害を持ちながら
    大学の教授をされています。

    私も彼と似ていますね。

    聞き取れなくて困ることが多いから
    自分だけが不自由だと感じてしまい、
    周囲も私に対して不自由だと感じていることにまで
    思いが至らないのです。

    聞き取れないと、
    聞こえていたときのように
    すぐに頭のなかで整理できずにあせってしまい、
    結果思い込みの発言と行動。

    そこで相手に少し待ってもらって
    確認してから考えればよいのに。

    周囲にも不自由を感じさせて申し訳ないけれど
    努力にも限界がありますよね。
    だけどそこで
    申し訳ないから
    自信がないからと遠慮せず、
    自分から近づくことが大切であることに
    改めて気が付きました。

    不自由だからこそ、
    気付くことも多いですね。

    2008/07/24(木) 23:38:27
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    対象
    - 2008/07/23(Wed) -
    友人は仕事依存症なんだって。

    アルコール依存よりいいよね、生産的で。

    依存と言う言葉より、
    「打ち込んでいるもの」 といえば
    さらに健康的ですね。


    私には 「打ち込んでいるもの」 あるかな?

    ・・・・・・と考えてみたけれど

    何もない。


    するべきことはするけれど
    したくてすることもあるけれど
    打ち込むほどではないし。

    今の季節に欲しい爽やかな言葉でいえば
    「サラサラ」 な生活でしょうか。

    性格的には、
    今の季節に欲しい食べ物でいえば
    「あっさり」 ですね。

    たまには濃いものも欲しいけど
    悲しいことに体力がついていかない。

    だから怒りもすぐに収まる。
    あまり怒ることもないけれど
    (怒るのはしょうもないことが多いけど)
    どうしても許せないものに対しては、毅然としていたいですね。

    とはいえ、体力に比例して
    勇気も足りないんだけど。


    怒りも冷静になって考えれば
    自分の勘違いだったり、
    言葉の食い違いだったり。
    思い込みもありますよね。

    怒りの対象を間違えないようにしなければと、
    いろいろな事件が起こる度に、思います。

    2008/07/23(水) 23:01:41
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    明るさの湿度
    - 2008/07/22(Tue) -
    左のお知らせの欄の
    夢バンドのコンサートの日時と場所が違っていたので
    訂正しました。

    夢バンドは小学校の教員で結成されたグループ。
    息子が小学校1、2年生の時の担任の先生と
    亡くなった3年生の時の担任の先生もメンバーなんです。

    毎年進化を続ける夢バンド。
    あと1ヶ月ほど。
    楽しみです。


    今は先生方とも普通に話ができるけど
    以前はそうではなかったと思う。
    私に対して気を遣っておられただろうし
    私自身も他の人から違う目で見られていることを感じていたし。

    それは、私がTVで
    娘さんを交通事故で亡くされたタレントを見て
    他の出演者とは違うように感じるのと同じようなものかな。

    他人の記憶から事故が消えるくらいに薄くなるまで、
    または
    彼が事故のことを一切言わずに忘れたようにしなければ、
    からりとした明るさは取り戻せないように思える。

    対して
    他のタレント達は
    なんて普通に明るいんだろう。
    それは私が他の
    何事もなく生きている人達と接して感じるものと同じで。

    別に彼が特に暗かったわけではないですよ。
    ただなんとなく感じるものが、
    私にあっただけの話です。

    でもね
    それがどうしたっていうんだとも思う。
    起こってしまったことは取り返しはつかず
    それに対する自分の感情に嘘はつけない。
    交通事故に対する怒りも隠しようがない。

    どう変化しようと
    今が真の自分なんですよね。
    いつだって。

    2008/07/22(火) 17:03:04
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    情報は平等に
    - 2008/07/19(Sat) -
    東京地裁で
    視覚障害者と聴覚障害者が参加する
    模擬裁判員裁判があったらしい。

    裁判員役として参加した聴覚障害の女性は
    やり取りが速いために誰の発言がわからなかったそうだ。

    模擬裁判の場合は通常とは違い、
    わかりやすいように行うのかと思ったけれど
    そうでもないんですね。

    私も昨年はある会議の場で
    手話通訳と要約筆記を利用できる機会が多かったけど
    スピードが速いとどちらも全てを伝えることは難しいし、
    発言、それも複数の人になると
    話の内容がつかみにくかった。

    裁判の場合は特に、
    手話通訳しやすい環境を整えるよう
    こまかな配慮が必要になってきますね。
    試行錯誤しながらでも
    情報は平等に提供できるようにして欲しいと思う。

    裁判所というところは、一般人から見て
    疑問に思う点も多いと思う。
    敷居が高いことも一因でしょうか。
    裁判員制度が施行されることで
    改良されていけば良いですが。

    もし自分が裁判員に選ばれたら・・・
    話は全て知ったうえで判断したいから
    隣で全ての話をパソコンに入力して欲しいとか
    パソコン要約筆記を準備して欲しいとか、
    お願いすることになるのでしょう。
    準備してくれるかどうかは疑問ですが。

    なってみないと わからない?

    2008/07/19(土) 23:55:22
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    もしもあなたが遺族だったら
    - 2008/07/18(Fri) -
    香川の殺人事件の初公判を傍聴した
    殺された子供の父親が
    被告人には、苦しんで苦しんで死んで欲しい

    と言っていたのをTVでちらりと見た。

    もっともだと思う。

    大事な人を殺されて
    相手を憎まない人なんていない。

    同じ恐ろしい思いを味あわせて
    同じ、いえそれ以上の苦しみを受けて死んで欲しいと
    多分誰もが思うだろう。

    人を憎むな、
    死刑廃止をと言う人は、
    心から人を憎んだことがなかったり
    大事な人を殺されたことがない人が
    多いのではないだろうか。

    私は
    死刑を必要ないとは思わない。
    かといって
    死刑に賛成しているわけでもない。
    それについては
    簡単に結論を出せるものじゃない。

    ただ、
    死刑は
    被害者や遺族のためにあるのではないと 
    そのことだけははっきりわかる。

    2008/07/18(金) 22:50:04
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    感謝
    - 2008/07/17(Thu) -
    建物の間から
    見上げる空がとても青くて
    吸い込まれそうに青くて
    ずっと眺めていたときに
    唐突に思った。

    息子は私を救ってくれたんだなと。


    矛盾しているかもしれないけれど


     「救ってくれた」 と言う言葉が
    息子の笑顔にキレイに重なる。


    生まれた時からそうだった。
    どんな時でもそうだった。
    息子に幸せを与えられ
    勇気付けられ励まされ
    生きる喜びを教えられ
    それはやっぱり私を救ってくれたこと。

    姿がなくなった今でもずっと。

    2008/07/17(木) 17:07:29
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    残すようなものじゃない
    - 2008/07/16(Wed) -
    パジャマのゴムを新しいものに変えていたら
    以前のゴムが残ったままなのに
    気が付いた。

    放っておいても別に問題はないけれど、
    見つけてしまったら気になるもので
    少しずつ、少しずつ、
    布をたぐしながら移動する。

    ようやく見えたゴムの端を
    なんとか出して、引っ張った。
    ほんの数センチかと思っていたら
    思ったよりも長いものが
    ずるずるずるといつまでも出てくる。

    伸びきってしまったゴムはただの紐。

    記憶の底にいつまでも残す
    マイナスの思いに似て。

    20080716.jpg

    2008/07/16(水) 16:40:18
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    手間
    - 2008/07/12(Sat) -
    自転車で歩道を走っていたら
    丸っぽい虫がお腹を見せて足を泳がせていた。

    通り過ぎたけれど気になって
    戻って拾って、
    横にあった街路樹に移してやった。

    カナブンだと思ったけど
    あれは蝉の幼虫だ。

    土から出てきて木に登ったものの
    落ちてしまったのだろう。

    でも時刻は夕方。
    出る時間を間違えたのかな?

    私がするのは木に戻すことだけ。
    それ以上のことはしない。
    あとのことには踏み込まないほうがいい。
    任せればいい。

    でも、また落ちても
    せめて人が踏む恐れのない場所に
    移してやったほうが良かったかもね。

    ちゃんと蝉の一生を全うできるのだろうかと
    お節介なことに今も気になっている。


    もう少しだけ
    手間をかけてもよかったのに。


    と思うこと

    他にもあるのではないだろうか。


    2008/07/12(土) 22:16:26
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    五感を磨く
    - 2008/07/11(Fri) -
    「西の魔女が死んだ」 では
    意識しないまでも 
    「五感」 が磨かれる暮らしが描かれているように思います。

    「おばあちゃん」 は魔女の設定。
    彼女の言葉には
    頷けるものが多かったですね。


    野菜を育て、ハーブの力を生かし、鶏を飼ってその卵を食べ
    野いちごでジャムを作り
    自分の手足を使って洗濯をして・・

    映像で見ると憧れますが、
    時間がすぐに過ぎてしまうとあせっている私には
    そんな暮らしはできそうにありません。
    生活が便利になることもありがたいことですよね。
    体力のない者にとっては特に。

    その家にも水道はあるし電気はあるし
    冷蔵庫だってちゃんとある。
    必要なものは最低限揃っている。
    逆にいうと揃えるものは最低限でいいのかもしれませんね。
    人によって必要な数は違うと思うけど。


    シンプルであるほうが、心に幅を持たせやすいかな。

    私は受ける自分の器が小さいから
    多くのものを持つことができない。

    持っている器の大きな人、能力のある人は
    多くのものを持てばいい。
    それぞれが
    自分に合った生き方をすればいい。

    2008/07/11(金) 21:08:14
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    五感
    - 2008/07/10(Thu) -
    昨日の記事のテロップとは 
    インタビューや会話の部分のみに時折字幕が表示されることを指していますが、
    間違いかもしれません。
    正しい言い方をご存知の方がおられましたら、教えてください。


    さてその
    「西の魔女が死んだ」 ですが
    実はその後もう一度観に行ったのです。
    近くのシネマハウス、字幕なし。
    音声ガイドなしの、通常のものを観たかったのです。

    新しい発見でした。
    視覚で得られる情報量の、なんて多いこと!
    ガイドを聞きながら観たときと比べ
    ガイドの情報を遙かに超えた量が、
    見るだけで頭に入ってくるのです。
    考えてみれば当たり前のことかもしれませんが
    ちょっと驚いてしまいました。

    音声ガイドに集中してしまうために
    視覚からの情報が減ってしまうのでしょうか。
    聴覚が鈍い私は、聞こえるものに
    必要以上に集中してしまうのかもしれません。
    人の会話を聞いた後の疲労感が強いのは
    そのせいなのかもしれません。
    理解できないから、余計に疲れるのもありますが。

    字幕のない通常のものは
    もう最初の科白からわかりませんでした。
    字幕版を見ていると、自分が聞き取れているようにも思ってしまうのですが、
    やはり錯覚だと知りました。

    半分程度しか理解できない。
    いえ、2回目だから、半分理解できたのでしょう。
    初回だと理解度はもっと下がると思います。

    視覚障害の方は、聴覚で感じ取る力が強いのでしょうね。
    音声ガイドの言葉と、
    それに重なる様様な音で情景を描けるのかなと想像します。
    生活のなかでは
    聴覚の他に、触覚、嗅覚、味覚を合わせ
    見る力と同じくらいの情報量を得ておられるのでしょうか。

    聴覚が弱い私も、それに代わる力を強くしたいけど、
    中途半端に弱いので、代わる感覚も中途半端。
    見る力もなかなか上がらない。

    弱いもの、それはそれとして、違う感覚を磨いていったほうがよいかな?
    弱い聴覚も含めて、五感を磨いていけば
    きっと違うものが見えてくる。
    そんな気がする。

    2008/07/10(木) 17:43:51
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    バリアフリー上映会
    - 2008/07/09(Wed) -
    先日、邦画 「西の魔女が死んだ」 の
    バリアフリー上映会があると知り、少し遠いけど行ってきました。
    聴覚障害者のための日本語字幕と
    視覚障害者のための音声ガイド付。

    その劇場は3年前に一度行ったきり。
    HPで調べたものの詳しく見ていなかったので、入場システムがわからない。
    開場前に入り口の前で説明しているようだったけど
    聞き取れずによくわからない。
    バリアフリー上映会であるなら、手話で説明できる人を準備して欲しいと思いながら、
    他に聴覚障害の方がいるのではと見渡してみたけれど
    手話をしている人も見かけないし、誰もいない模様。
    とはいえ、聴覚障害は目に見えないからわからないですね。
    補聴器の貸し出しをした際に、申し出が一人もいないのを
    聴覚障害者の来場がないものと思い込んだり、
    普通に話をしている私を見て、
    耳が悪いとは誰も思わないのと同じですね。

    人の動きを見ていると、どうやら
    チケットに記載してある整理番号順に入場、自由席らしい。
    視覚障害の方も数人おられるのが見える。

    上映前にも、バリアフリー上映会についての説明などがあったけど
    半分ほどしかわからないまま、上映が始まった。
    そして気が付いた。
    音声ガイドは必要な人のみに準備されるのではなく、
    会場にいる全員に聞こえるのでした。
    それも科白と同じくらいの音量の
    はっきりとした発音なので、
    いくら聞こえの悪い私にでも聞き取れる。
    全体的に音量を上げていたようにも思う。

    これは、視覚障害の人にとっては、映画を楽しめてとてもよいですね。

    だけど殆ど音の 「間」 がない状態で、
    集中できず非常に観にくく残念に思いました。
    私には音声ガイドの声が主となって耳に入ってくるのですが、
    正常に聞こえる人は、
    重なる背景の音や声も聞き分けれらるのでしょうか?
    聴覚障害の方も
    残存聴力がある人や、補聴器を使用している人は
    音の区別がしにくいだろうと思います。

    日本語字幕を 「邪魔だ」 「集中できない」 と言う人も
    似たような感じ方なのかとふと思いましたが、
    音声ガイドと字幕とはまた別のようにも思います。

    両方付いた上映会では
    主に視覚障害の方を対象にしているのでしょう。

    誰もが楽しめるように、
    音声ガイド付き、字幕付き、どちらもなし を
    分けて上映してもらうのが理想ですね。

    でも現実にはバリアフリー上映を行える劇場は限られており、
    今回も近畿では5ヶ所のみ。
    字幕版のみは3ケ所だけになる。
    しかも遠い。

    映画も、最初からバリアフリーを考えて製作する作品が少ないのは残念です。
    もちろん費用の問題もありますが。

    バリアフリーというのも、
    不自由を感じる立場から見てしまいますね。
    以前障害のある子供さんを持つ一人の方が
    コンサートと一緒に 「バリアフリーな上映会」 を行いました。
    「四分の一の奇跡」と言う映画のミニバージョンで、
    観たかった映画でもあったのでメールで問い合わせたところ
    字幕はないとのお返事でした。
    映画にはテロップも多く、全くわからないわけではありませんでしたが
    字幕があればもっと良いのにと思いました。
    バリアフリーとなっていても、聴覚障害は対象ではなかったわけですね。
    私も今回、音声ガイド付き上映を経験し、
    自分が聴覚障害を中心に考えがちなことを改めて思いました。

    世の中には様様な不便があり
    全ての人に気遣いするのは難しいですが、
    自分の周囲から考えを広げていきたいものです。

    2008/07/09(水) 16:15:54
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    身辺整理
    - 2008/07/08(Tue) -
    先日頭がすごく痛くて

    どうしよう このまま倒れたら。
    やりかけのことがいっぱいあるのに
    といつもの如く身辺整理をしなければ、
    と放ったらかしのものを眺めて反省していたわけです。

    ずっと前から同じこと言ってますね。


    幸いにも次の日には治り、その後ある人に会った時
    その身辺整理の話となりました。

    「整理なんてできないよ!
     みんなたくさんのものを残して死ぬんだから!」

    そう言ったその人は団塊の世代で
    既にご両親を見送られた方。

    確かにそうなのだ。
    整理しなければといいながら
    自分もたくさんのものを残して死ぬんだろうと思ってる。

    整理するのは残された人。
    息子のものだって私が整理したんだ。

    息子が残したものなんて
    大人に比べたら少ないものだけど、
    事故の前に 「捨てんといてな」 と言われていた
    作りかけの科学雑誌の付録のクリスマスツリーさえ
    葬儀の前に部屋を片付けていた時、
    手に取った途端悲しくなってごミ袋のなかに入れていた。
    学校から持って帰ってきた絵もゴミ袋行き。
    捨てたことを後ですごく後悔したけれど。

    今押入れのなかの遺品を見て思う。
    息子が残したものは
    息子そのもののように、みなシンプルで汚れがない。

    私が残すものは
    これまで生きてきた汚れや埃が
    いっぱいついていることだろう。

    やっぱり少しずつでも整理しておこう。
    (恥ずかしいものは処分したい)?

    2008/07/08(火) 17:13:20
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    願い事
    - 2008/07/07(Mon) -
    昨夜は疲れて、少し横になったつもりが
    数時間眠ってしまいました。

    あまりの暑さに夜中に目覚め
    少しでも涼しいベランダに出て夜空を眺めました。
    曇っていて星は見えませんでしたが
    もう今日は七夕です。

    もし今私が 短冊に願い事を書くなら
    何て書くだろうと考えました。
    そして出てきた言葉は、

    「以前と同じように 聞こえるようになりますように」

    「息子が戻ってきますように」

    究極の願い事。
    絶対に無理なことなので書きません。

    「聞こえるようになりますように」

    これも奇跡のようなことですが、
    聞こえを取り戻すのは
    やっぱり私の願いなのだと思います。

    生まれた時から聞こえる社会のなかで生きてきた私にとっては
    障害の程度がこの国ではまだ軽いからといって、
    手話が少しくらい使えるからといって、
    聞こえないことを受け入れるのは
    なかなかできないということなのだと思います。

    耳が悪いと気づいてから9年。
    どんどん悪くなっていくことを
    受け入れているようで否定している。
    だから聞こえないことを苦しく思う。

    周囲には手話を使わない人のほうが圧倒的に多い。
    聞きたいし話したいのに難しい。
    それを伝えても、理解されない。
    何度も経験し挫折し嫌になる。
    もういいと投げ出してしまいたくなる。
    だから愚痴を言いたくなる。

    聞こえないことをどうすれば
    肯定的に思えるだろうと考えて、
    感謝が一番と言う たけさん のことを思い出しました。
    軽い感謝は誰にでもできる。
    突き詰めていけば
    どんなことでも全て感謝の対象となりますが、
    失ったことに対して感謝するのは
    簡単なようで難しいですね。

    現実に私は
    聞こえない耳になかなか感謝できない。
    彼の言うことをそのとおりだと思っていても。

    でも
    私も無理やりでも感謝していこう。
    少しずつでも。

    2008/07/07(月) 06:31:26
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    蚊帳
    - 2008/07/05(Sat) -
    睡眠不足気味なのに、
    昨夜は暑くてなかなか寝付けなかった。

    夜風が恋しい季節です。
    最近は防犯のため
    窓を開けたまま眠ることはほとんどない。
    窓を開けたら涼しいんだけど。

    子どもの頃住んでいた家には網戸がなくて
    夏は蚊帳を吊るして寝た。
    今は蚊帳を見たことがない子も多いんじゃないかな?
    そういえば私の子どもたちも経験ない。
    トトロの映画の一場面で、知っているくらい。

    「蚊帳の外」
    という言葉も
    わからない人も多かったりしてね。
    私は蚊帳経験者だからよく使う (思う) けど。

    私の場合は
    会話が聞き取れずに一人孤独を感じる様です。
    あまり使いたくない言葉だなー。

    それはともかく
    蚊帳は見た目が涼しそう。
    昔と材質が変わっているのなら
    今の蚊帳はより涼しく感じられるのかもしれない。

    蚊帳で無防備に眠れる社会であれば よいのにね。

    2008/07/05(土) 16:58:10
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    変化
    - 2008/07/04(Fri) -
    ベランダのミニトマトが赤く色づいて
    ささやかながら収穫の喜びを感じてる。

    隣のプランターと庭には
    朝顔を植えたけれど、
    残念なことに1本も芽が出なかった。
    息子が育てていた朝顔から出来た 種。
    10年も経つと芽が出なくなってしまうのだろうか。
    水につけたりと工夫はしてみたけれど
    どうしても駄目だった。

    全てのことが
    どんどん過去になっていく。

    だけど変化するのは自然なことだから

    受け入れていこう。

    2008/07/04(金) 18:24:27
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    体験
    - 2008/07/03(Thu) -
    暑いなか帰ってきて
    シャワーを浴びて着替えて一息ついて、
    壁に貼ってある地図をぼんやりと眺め
    まだ 知らない場所はたくさんあるとふと思ったときに
    なんとなく
    生きていることは楽しいと思う。

    生きて一番面白いことは
    体験できることかもしれない。
    私のようなつまらない人間でも
    まだ生きて 
    さまざまなことを体験できるのは
    幸せなことであると思う。
    幸せなことばかりではなくても。

    息子も喜びを感じて生きられた。
    さまざまな体験ができたこと
    それも幸せなことだった。
    短かかったのは 本当に残念なことではあるけれど。


    昨日切ったくちなしの蕾が
    色が白くなりどんどんふくらんできた。

    20080703.jpg

    色は匂えど 散りぬるを

    人生なんて あっという間。

    2008/07/03(木) 22:44:25
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    黙っていても
    - 2008/07/02(Wed) -
    くちなしの花の香りが漂ってきて、
    どこの庭に咲いているんだろう

    と思っていたら
    自分の家に木があった。

    そういえば・・毎年
    ああここにあるんだと気が付いているような。

    他の木に隠れて普段は存在感がないけれど
    この季節になると静かに
    でも強烈に
    ここにいます と 
    白い花を開かせる。

    ころころと太った青虫が
    あの枝にもこの枝にもついていて
    でもまだ葉もあることだしと放置する。

    蕾を1本 青虫に触れないようにして
    もらってきました。

    20080702.jpg

    2008/07/02(水) 17:43:08
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    夢と現実
    - 2008/07/01(Tue) -
    私はよく夢を見るほうらしい。
    毎日毎日 いろいろ夢見て
    起きた時に夢が現実のような
    または違う別の人生があるように
    思う時さえある。

    今朝の夢に出てきた女性、
    知っている人なんだけど誰だっけ誰だっけと
    ずーっと考えていて、
    ようやくわかった。

    ろうの友人。
    夢の中では声を出して普通に話をしていたから
    なかなか結びつかなかったんだね。

    私が彼女に持っているイメージは
    優しく愛情に溢れた、強い母。
    夢でその役割の人が必要だったのかもね。
    それで彼女が出てきたのかもしれない。

    手話があれば彼女とは普通に話ができる。
    私もそうですね。
    やはり手話がない場所では話ができないことが多い。普通には。
    そのことが寂しくもあり悲しくもあり
    情けなくもあり。

    それでも、行く場所があるのです。
    そしていつも、聞こえない者が行く必要があるのだろうかと
    疑問に思うわけです。
    要するにしんどいんですね。
    それでも行く。

    付き合う人を、
    手話を使う人たち限定というわけにもいかない。
    周囲には手話を使わない人が圧倒的に多いのだから。

    努力するしかないですね。
    それが現実というもの。
    聞こえる別の人生や
    みんなが手話を使う人生は 夢で見ることにして。

    2008/07/01(火) 16:45:45
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