- 2009/05/28(Thu) -
    迷い鯨はやせ細っているらしい。
    なんとかしてやって欲しいと思うけど、
    手がつけられないならどうしようもない。

    鯨については私は殆ど知識がなかったので調べてみた。
    マッコウクジラは食用には適さないそうだ。
    体の各部分は利用できる。
    特に腸内生成物は香料として珍重・・・だそうだ。

    私が実際に鯨を見たら
    かわいそうだと思うだろう。
    もし鯨が死んでしまったら、
    遠い海に眠らせてやって欲しいと思うだろうか。
    それともやっぱりその命を無駄にせず、
    利用すれば良いと思うだろうか。

    ど考えているうちに
    以前読んだ昔話を思い出した。
    鯨の母と子の哀れで少し怖い話。
    母鯨が夢に現れて、子どもを捕らないで下さいと言う。
    だけど子鯨は捕えられ、逃げることができない母鯨も殺されてしまい
    その村には祟り・・ 
    というような話だったかな。

    自分たちが生きていくために他の命をもらうのは
    仕方ないことでもあるけれど、
    そこに 欲は持たないで欲しいと思う。
    欲のために他の命を奪うなんて
    しないほうがいいに決まってる。

    2009/05/28(木) 22:37:01
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    鯨と猪
    - 2009/05/24(Sun) -
    和歌山の迷い鯨は今も湾内にいるらしい。
    聴覚に異常があるという話もある。
    だったら私と一緒だね。

    死んだ場合のことも検討されているそうだ。
    ↓産経新聞から
    平成16年に水産庁がまとめた「鯨類座礁対処マニュアル」によると、
    死んだクジラの処分方法は埋め立て、焼却、海洋投入の3つに限られるという。
    市はクジラが死んだ場合に備え、海洋投入を基本方針に対策を練っている。

    もちろん早く湾の外に出ていくのが一番よいけれど、
    もし出られず 死んでしまったとしたら。

    私は、海の恵みとしていただく、のがよいと思う。
    この鯨が迷い込んだのはある意味自然の摂理。
    助けようとしたけれども結果死んでしまったのなら
    食べればいい。
    人が手をかけずに自然に任せるなら
    いつか鯨は死んでいき、
    死んだ鯨は腐敗して、海の命の養分となる。
    食べることは人間の養分の摂取。

    以前山の中の道を車で走っているとき
    道路で死んでいる猪を見た。
    急いでいたのでそのまま行き過ぎ、
    10分後に戻ったら、
    もうその猪の姿は影も形もなかった。
    多分誰かが拾っていったのだと思う。
    その人は猪鍋を堪能したことだろう。
    自然と人間が共存できるようにしなければならないと思うけど
    それは置いておくとして、
    食べることに対しては私は それでよいと思う。

    そんなかわいそうな、残酷な、という人もいるだろう。
    でもそう言う人達も、他の動物を殺して食べている。
    ただ自分が手を下していないだけ。

    感謝して食べればいい。
    だけど
    鯨の命をいただくという気持ちがなければ
    食べないほうがずっといいと思う。


    2009/05/24(日) 22:50:50
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    理想
    - 2009/05/16(Sat) -
    和歌山で湾内に迷い込んだ鯨。
    衰弱しているようだけど
    その後どうなったんだろう。

    それにしても 大きな鯨。
    なんだか不思議な気持ちになる。
    あれだけ大きくても
    その体に宿る命は たったのひとつ。

    どんなに大きくても 小さくても
    ひとつの体には ひとつの命。
    みっつの体には みっつの命。

    昨日、福岡の3児死亡事故の控訴審で、
    懲役20年の判決が出た。

    弁護側の主張のように、
    たとえ過失であったとしても、
    結果的に3つの命を奪うに至った行為は、
    許すことができない大きな間違い。
    そのことを一番よく知っているのは、
    奪った本人ではないのかな?

    多くの人が注目している。
    でもその多くの人達全てが
    命について考えながら常に行動しているとは思えない。
    許せない行為に憤り、
    瀕死の鯨を見てかわいそうと思う人。
    だけど本当に命の大切さを理解しているかは疑問。
    またそれが当たり前の人間の姿でもある。

    理想を言うのは簡単。
    でも 心でわかっているか?

    わからなくても仕方ない。でも
    自問自答しながら
    わかろうと考える人は
    理想の人間の姿だと思う。
     
    2009/05/16(土) 23:54:00
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    かわいいでしょう。でも殺すのよ
    - 2009/05/08(Fri) -
    玄米を洗いながら考えた。
    玄米を水に浸ければ、発芽し育っていく。
    この一粒一粒が命の塊。
    これを食べているのだから、効果があって当たり前だね。

    玄米も人間の体も
    動物の体も
    なんて完璧に作られているんだろう。
    細胞、複雑な臓器、血管、骨、筋肉、神経、皮膚・・・・
    その命を食べる・・美味しいはずだ。

    植物は食べられることに対して恐れはないように思うけど、
    動物は死にたくないだろうね。
    生きているものは、生きたいと思うもの。
    でも家畜として生まれたからには、殺されて食べられる運命。

    「世界屠畜紀行」 の本のなかに
    アメリカの大学の実験牧場で
    肥育の研究をしている美女へのインタビューが出てくる。
    彼女はこう言うのだ。
    「牛も豚も私たちのいい友達よ。
    かわいいでしょう。でも殺すのよ。
    ステーキがおいしいんだからしょうがないのよ」

    若くてキレイな女性と、その言葉とのギャップに、
    筆者も少し驚くけれど、
    汚物まみれになりながら家畜の世話をしている人の、
    おいしいから殺すんだという言葉は、
    シンプルで清清しくも思えてくる。
    また 屠殺し解体し、
    内臓も皮も骨も無駄にすることなく(危険な部位は除いて)
    利用できるようにする仕事も、
    命に直結していて、尊い。

    肉食をする国の文化や歴史にも目を向けると
    肉食は悪、とはいえなくなると思う。
    でも「おいしいから殺す」というのはどうだろう?
    必要以上に、貪欲に欲しがる必要はないと思うけど
    欲しがる人達がいる限り、
    哀れな動物が大量生産され、殺されていく。
    肉を欲しがる人達は、一部の富める国の人達。
    その中にこの国も含まれている。
    食料自給率が40パーセントしかないのに、
    街には捨てられる食べ物が溢れている、変な国。

    家畜を大量に生産するということは、
    大量の穀物を家畜に与えるということ。
    世界の中には、肉どころか
    毎日の食事の心配をしなければならない人達がいる。
    バランスを欠いている。
    一部の人間の快楽のために、犠牲になる動物。
    自然も犠牲になっているのでは?

    生きるために他の命をもらうのは仕方ない。
    遠い世界のことまで思いが至らないのも
    仕方ないことかもしれない。
    だけど、せめて
    わあおいしいと、食べる魚や肉が、
    どのようにして目の前のお皿までやってきたのか、
    考えたほうがよいと思う。

    食べる度に、
    自分以外の命について考えられるなら、
    自然に他の人の命にも
    目を向けられるようになるのではないだろうか。

    2009/05/08(金) 22:33:55
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    とりあえず やってみた
    - 2009/05/06(Wed) -
    また、動物を哀れに思うなら、
    食品以外のものにも目を向けるべきではと、
    周囲を見渡してみれば無数にある。
    衣料品、鞄や靴、装飾品、いろいろな製品の部品、石鹸洗剤、化粧品 etc・・・・
    今使っているものを捨てることは、それこそその命に申し訳ないから、
    使い切ったものから植物性や他のものに替えていくことにした。
    全て替えるのは難しいけれど、できるだけやってみようと思った。

    食べ物は、
    動物性の肉や魚の替わりになるものがないか、調べてみると
    玄米菜食を基本にすれば、十分に栄養がとれるということがわかった。

    栄養が足りているなら、魚も極力やめてみようと、
    家族に玄米菜食にすると宣言し、
    玄米に変え、少しずつ食事を変えていった。
    もちろん卵と乳製品もとらない。

    でもこれが、ちょっと大変でもあった。

    家にある食品を改めてチェックすると、
    多くのものに動物性のものが入っている。
    成分表をいつも見るようになると、今までそれ程気にしなかった、
    添加物まで気になってくる。
    だしはそれまで魚の天然だしを使っていたので、
    昆布や椎茸のだしを薄く感じてしまう。
    また、野菜中心の食事が物足りなく感じる。
    家族も肉を欲しがるし
    私自身も、お肉を食べたいと思う時があった。
    そして野菜の料理は時間がかかる。
    メインの肉料理の代わりになるものを作ろうとすると、失敗もする。
    玄米だけが抵抗なく、最初から美味しく食べることができたからよかったけど。

    それでも続けていくうち、
    次第に自然の味と野菜の美味しさに目覚めてきた。
    料理のレパートリーも広がり、
    慣れるに従って調理時間も短くなって、メニューも充実してきた。
    信じられないことに、半ば義務で作りがちだった料理が
    とても楽しくなってきた。
    外食が多かった家族が食卓に戻ってきて、
    いつしか、肉が食べたいという声も聞かれなくなった。

    そして、家族の花粉症の症状が軽減し、
    貧血が改善され、
    誰も風邪ひかず寝込みもせず、
    私も睡眠不足が続いても体調も悪くならず、
    耳以外は、とても調子よい。 
    おまけに自然にダイエット。

    だけど私は元々持病があり、元気ハツラツというタイプではないので、
    鎖骨に涙が溜まるくらい(懐かしい)細くなると、
    やつれているように見えるらしい??

    もう少し改善できればよいとは思うけど、
    肉食をやめたおまけのように、
    毎日美味しく食事ができ、元気に過ごせることに感謝。

    食生活を変えただけで、
    体も心も穏やかになれることに改めて驚き。
    また変えてみたことで、
    いかに多くの動物性食品をとっていたかに、気が付いた。
    そう教えられてきたし、それが当たり前だと思っていたけれど、
    違うんじゃないかな?
    過剰に取り過ぎだと思う。

    玄米菜食中心が定着した今は、
    卵と魚は時々食べるようになった。
    肉も必要な場面では食べるようにしている。
    食べる時にはそのものの、生きていた時の姿を思い浮かべる。
    不思議なことに肉食をしていた頃より、
    食べ物への感謝の気持ちが強くなった。


    もう少しつづく

    2009/05/06(水) 16:18:49
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    昨年の暮れから続けていること
    - 2009/05/04(Mon) -
    世間はGWだけど
    私はまったく予定がないので
    久し振りにのんびりしている。

    家でゆっくりできるのは 幸せ。

    家事したり 縫物したり
    ぼけーっとしたり 本を読んだり。

    最近読んでいるのは、2年前に出版された
    「世界屠畜紀行」
    という本。

    著者は日本の女性。
    同和関係の雑誌に連載で書かれた原稿をまとめたもので、
    日本を含む数ヵ国の家畜の屠殺の現場に行き取材した内容が、イラスト入りで書かれてある。
    肉食の文化や歴史を知ることができて、興味深い。
    国によって違うけど、
    肉を食べていても、屠殺という行為や職業を嫌う人はいる。
    私は実際に目にしたことはなく、知識もなかった。
    ただなんとなく、怖いというイメージを持っていたけれど、
    本を読み、これは立派な技術職であり、尊い行いだと思うようになった。
    だけど今私は 殆ど肉食はしない。
    きっかけは、屠殺される動物を哀れに思ったから。

    昨年の暮れ、たけさんが 「菜食のススメ」 というHPを
    ご自身のブログで紹介された。
    そのHPでは屠殺の動画を見ることができる。
    もちろん見たくない人は見なくていい。
    私も最初は見るのに勇気が要った。
    でも知らなければならないことだと思い、見た。
    というのは、肉を毎日のように食べていても、
    家畜の姿を殆ど見ることがないのを
    以前から疑問に思っていたから。

    鳥インフルエンザ問題が起こり、多数の鶏が殺処分されたとき
    そのニュースの映像を見て胸が痛んだ。
    元気な鶏も一緒に袋に詰め込まれ、ガスを注入されて殺される。

    生まれてから一度も太陽の光を浴びることなく
    狭いケージの中で卵を産むために
    人間が食べるためだけに生きている鶏。

    牛や豚にしても鶏とおなじ、
    のんびりと草を食む、牧歌的な風景はほんの一部。
    小屋で大切に手をかけて育てはしても、最後には屠殺場に送られる。
    だけどいくら人間のための家畜であっても、
    快適な、幸せを感じられる環境で生きてほしいと思うのだ。

    でも自分自身が肉食をしているのだから
    何を言っても所詮綺麗事に過ぎない。
    生産者の苦労も知らず、その人達が育てた家畜の肉を
    お金で買って食べているのだから、
    疑問に思ったところで、言える立場ではない。

    だから以前このブログで牛の写真を載せたときにも
    本当はそのことを書きたかったけれど、書けなかった。

    他の命をもらって自分が生きていること・・
    動物を殺して食べていることを認識してはいても、
    できるならそこから目を背けていたい。
    でもその過程は、やっぱり知っておかなければと
    思い切って 動画を見たのだった。

    そのサイトは、ベジタリアンの方がつくっているようです。
    失礼かもしれないけれど、偏っている可能性もあるので、
    他にもいろいろ調べてみた。
    その結果、結論は、
    やっぱり自分は肉食はやめよう!だったわけ。

    そこで気になったのは栄養面。
    それも調べてみた。


    長くなるので・・次回につづく

    2009/05/04(月) 18:09:42
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    予定
    - 2009/05/03(Sun) -
    いつの間にか 風香り
    山笑う季節。


    数日前、
    少し離れた場所に出掛けた。

    その場所が目的というよりは
    途中の風景に再会したかったのだと思う。


    山への上り坂
    そしてやがて下り坂になり
    視界が開けてきたところ。

    そこにあるのは
    広い空
    一面に咲く菜の花
    れんげ


    もうすぐ もうすぐと
    期待して車を走らせたけど
    今年は菜の花が少し 
    咲いていただけ。

    残念に思う気持ちと
    同時に
    ほっとしたような気持ちと。


    事故から11年経ったのに
    いまだにある行けない場所
    行きたくない場所
    行きたくない季節。

    思い出し 涙ぐむ。
    同時にさまざまなことをも思い出す。
    息子の仕草や笑顔
    表情や言葉
    その存在から伝わってくるもの。

    今でも私に伝えてくれる。

    書き込まれた予定ばかり見ていると
    つい 忘れてしまいがちだから、
    手帳の予定の
    文字のなかに埋め込もう。

    息子のような人間になる という予定を。
     
    2009/05/03(日) 18:34:57
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