ピーマンの緑
    - 2010/07/22(Thu) -
    梅雨明けと共に猛暑日が続き、
    今回は長いねと言われた私の落ち込み
    =プチ鬱 も
    ようやく明けたみたい。

    明けたといっても夏
    夏は息子の季節

    8がつうまれのどじくんは
    プールあそびがだいすき!


    と保育園の先生が
    お誕生日カードに書いてくれたっけ。

    いろんな場面での息子の顔
    笑顔や 泣き顔や
    プールに行ったものの水着を忘れたことに気付いたときの
    あの困ったような顔や
    虫を追いかけたり遊び回ったりして
    汗いっぱいで帰ってきたときの
    あの満足そうな顔や
    夜市や花火に行ったときの
    あのわくわくした顔やら
    本当にいろいろなことを思い出して
    おかしくなったり 涙を流したり

    私が住んでいるところは
    夏はあちこちで花火大会が行われるけれど
    あの日以来私は行くことができない。
    他の人たちと同じように楽しめない
    たぶんこれからもそうだろう。


    テレビを眺めていたら
    普段力 という言葉が出てきた
    毎日当たり前のことができる力

    だけど息子を亡くした私は もう普通にはなれない。
    一見普通の生活をしているようでも
    心の面で普通じゃない。
    耳が年々悪くなってきた私も
    普通にはなれない。
    一見普通だけど 
    絶対ふつうではない。

    普通 当たり前のことが
    できなくなってしまったことは
    当たり前のことができる力を
    失ってしまったことだ。

    私はそれが 悲しかったのだ。
    多分それが今回の 
    落ち込みの原因のひとつなのだと思う。

    そんなに普通になりたいのか?
    普通っていったい何なのよ
    普通は 多数というだけなのに。

    だけど普通でないことが私は
    嫌で嫌でたまらなかったのだ。
    受け入れようとしていただけ。
    いまでも嫌でたまらない。
    でももう どうしようもないことだ。

    ああ悲しい。
    悲しいけれども
    暑い一日が終わって飲むビールの
    なんておいしいことだろう。
    ころがり落ちたピーマンの緑の色が
    なんて鮮やかで きれいなんだろう。

    20100722.jpg

    2010/07/22(木) 19:20:24
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    夕風
    - 2010/07/04(Sun) -
    夕方 久しぶりに青空が広がった。

    日が落ち、薄暗くなってから自転車で買い物へ。
    暗闇に紛れるため・・ではない。
    日中は暑いからね。

    夕暮れの風は涼しい。

    あーー すずしいけんー
    (何故か九州弁)
    と呟くと

    隣で息子が
    すずしいなーー 
    と 言ってるような気がする。

    いつもの あの嬉しそうな顔と声で。

    ああ 息子の笑顔は
    ほんとうに私を 幸せにする。
    いないけれども。
    それでも。

    これからも。

    2010/07/04(日) 20:23:37
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    記憶
    - 2010/07/03(Sat) -
    お茶を飲んで
    店を出ようとしていたら
    3人の家族連れが入ってきた。
    夫と妻と その息子。
    その女性には見覚えがあった。
    以前住んでいた学区の人で
    私の子どもの誰かの、同級生の母親か
    またはPTAの役員をしていた人だったと思う。
    目は合ったけど、挨拶をするほど親しい人でもなく、
    似ているだけの違う人のようにも思えたので、
    自然に視線が息子さんの方に移った。

    背が高くて、若々しくて爽やか。
    齢は私の息子と同じくらい?
    もしかして同級生?
    息子も生きていたら、こんな感じになったのかな?
    数秒の間私は、その子から目が離せなかった。

    やがて店員に案内されその3人が私の前を通る時
    その女性は片手を顔に添えて
    私の視線を遮断するかのように 通り過ぎた。
    そして私は、彼女のその仕草で、
    やっぱり知り合いだったことがわかったのだった。

    息子さんを見つめていた時の私の表情を
    彼女はどう見たのかわからないけれど、
    挨拶さえ必要ない程、ただ知っているだけの私を
    見たくない 見られたくないと思うくらいに
    彼女は私を・・事故のことを・・覚えていたということなんだろう。

    彼女の仕草に少し傷つき、
    少しほっとする。
    私も似たようなことをいつもしている。
    以前の知り合いに会った時には、
    顔を合わせないように進行方向を変えるし
    変えられない時には気付かない振り
    声をかけられなかったことに、ほっとする。
    その人が悪いわけではないけれど。

    そして私は、あることを思い出した。
    闘病中の友人を病院で見かけた時に、
    すぐ近くにいたのに、声をかけられなかったことを。
    その後に一度会った時にも
    なんとなく声をかけられなかった。
    その後会う機会がないまま、友人は亡くなり、
    声をかけなかったことを、とても後悔したことを。

    友人が亡くなって、もう20年近くになる。
    子どもを通じた付き合いで
    それ程親しく行き来はしていなかったけれど、
    話してみれば、いい人だなと誰でもわかる
    優しい彼女のことは、時々思い出していた。
    記憶の中で生き続ける彼女。

    息子もきっと 誰かの記憶の中で
    生き続けているに違いない。

    2010/07/03(土) 12:25:46
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