田中好子さん
    - 2011/04/26(Tue) -
    「0(ゼロ)からの風」のロケで
    田中好子さんにお会いしました。
    二度目に、兵庫県のある廃校に行った時に、
    笑顔で校庭をこちらに駆けて来られる姿を見て
    可愛い人だな と思いました。
    楽しげなメロディーがついているようでした。

    別の場所でのロケの時に同じテーブルで、夕食のお弁当を食べたとき
    私は皆の会話がさっぱり理解できず(聞き取れなかった)ので
    一緒に食事をしたという実感があまり持てないまま、
    彼女も私のことを忘れておられるだろうと思っていたけれど
    試写会でお出会いした時にご挨拶をしたら思い出されたようで、
    字幕付きではなかったことを
    「聞こえましたか?」と聞いて下さいました。

    3度のロケで見た彼女は、
    感受性豊かで、それを上手にコントロールできる人だと思いました。
    女優さんだから 当たり前かもね。
    「0(ゼロ)からの風」の演技も 素晴らしかった。

    告別式で流れた彼女のメッセージに
    涙した人も多かったと思います。
    早すぎた死 無念だったことでしょう。
    私もテレビの字幕のその言葉を見て、彼女の想いを知りました。
    ただ字幕の量よりも、話す時間が長かったので
    字幕を省略しているのかと思っていました。

    が、そうではなかったようです。
    友人から、途切れ途切れに、苦しそうに話されていたと聞きました。
    友人は、それでも想いを伝えたいという
    田中好子さんの気持ちが伝わってきて、涙が出たと言っていました。
    私は、なんとなく声が聞こえるけれど
    目で見る情報は字幕だけなので
    そのニュアンスというのがわからなかった。
    これに限らず どこでもそう。
    誰かの話を聞いて周囲が涙を流していても、悲しいと思えず
    自分は感情を失ってしまったような気がして、居心地の悪さを感じる。
    ただ 理解できないだけなのに。
    耳からの情報がないと、情感も失ってしまうのでしょうか。
    音楽を聴いて涙を流すということも 忘れてしまった。

    だけど見たものはそのまま心に入る。
    田中好子さんの 精神 本質 魂
    美しかった。
    天国でも 幸せでいて下さい。

    この記事のURL | | CM(2) | ▲ top
    死者の意思
    - 2011/04/24(Sun) -
    魚のイメージのコウモリが
    翼を広げる そのさまは
    三枚に開いた魚のよう。
    翼を広げて風に乗り、
    空中で左に 右に寄る。
    私はコウモリの動きと反対に
    ぶつからないようなんとか避けようと 
    体を左右に動かすけれど
    強風に乗ったコウモリは
    そのまままっすぐ私の方へ。

    今朝見た夢の話ね。

    以前ずっと夢日記をつけていた私は、
    みた夢について考える習慣がある。
    夢には隠された心が現れる。
    夢で日常をふりかえり 生活を見直す。

    夢占いによると
    他の動物に似たコウモリは、物事の二面性を表すという。


    自分と同じ交通事故被害者遺族の悲嘆に触れる度に、
    今年で14年になる今でも続くどうしようもないやるせなさを思い
    慟哭に似た感情を抱く。
    泣く量も回数も減ったけれども、悲しみが消える日が訪れることはない。
    励ましの言葉かけをすることも
    心の底でそれを否定する自分がいるように思えてしまう。
    その人の苦しみは自分の苦しみ。
    その言葉を発することが 軽いように思えて仕方ない。

    だけど夢が教えてくれた物事の二面性は
    どんなものにも存在すると思うのだ。

    人にも長所と短所があり
    食品にもアクがあり
    薬品にも副作用があり
    災害も壊滅と犠牲の上行う復興に
    新しいより良い街を作っていく。
    原発も効率よく大量に発電出来る反面、
    リスクと不安がとても高い。

    交通事故で大切な人を失ったことは大きな不幸
    大きな苦しみと悲しみであり
    その人の可能性をもぎ取ってしまったことも
    社会の大きな損失でもある。
    だけど決してそれだけではないということを
    やっぱり私は否定しないでおこうと思う。

    私たちに与えられたもの
    その中で一番大きなもの
    それは 強さではないだろうか。
    それは求めても 
    なかなか手にはいれられないもの。
    悲しみを持ちながらも生きていく強さ。
    嘆きながらも生きていく強さ。
    傷も身の内 
    傷も大切な自分の一部。

    苦しみを経て与えられたこの強さを
    私たちは もっと誇りにしてよいと思う。
    自信を持ってよいと思う。
    胸を張って生きていけばよいと思う。
    それは亡くなった人の 
    意志とも言えるのではないだろうか。

    私たちは 生きていい。

    この記事のURL | ひとりごと・日常 | CM(4) | ▲ top
    クレーン車事故
    - 2011/04/19(Tue) -
    風が強い。

    風にも意識する風と
    意識しない風があるよね。
    そのときの それぞれの心持ちによって。

    社会のさまざまな出来事にも
    意識するものもあり しないものもある。
    注目のされ方といってもいい。

    世の中の不幸な出来事を
    全て平等に見るのは難しいことでもあるけれど
    大きな出来事の影に隠れる 
    数えきれない悲しい出来事、取り返しのつかない失敗、
    それを他人事とし忘れてしまうことがいずれ 
    大きな不幸を招く結果になっていることに
    もっとたくさんの人が気付くことができれば、
    不幸な出来事は確実に 減っていくのではないかと思う。

    昨日の、クレーン車が暴走して6人の小学生が亡くなった栃木の事故も、
    もしもこれが 1人であれば
    年齢が違えば、
    報道のされ方も違ってくるだろうし
    軽いとみなされれば
    いずれ記憶の片隅に埋もれてしまって
    詳しいことは忘れたけどかわいそうな事故があったね と
    そんな認識になってしまう可能性だってある。 

    簡単にいえば居眠り運転による死亡事故。
    それが普通の たとえば軽自動車で
    死亡者が1人であったとすれば、
    世間はそんなに注目もせず
    どこにでもある交通事故で片付けてしまうものだ。
    命の重さに 重いも軽いもないけれど
    どこかに差をつけていないだろうか。

    犠牲になった子どもたち
    その兄弟 家族
    助かったけれど恐怖を味わった子どもたち
    それぞれのことを思うと辛くて仕方ない。
    多くの人が今はそう思っているだろうけど、
    時間が経つにつれ
    気の毒に の一言に変えていかないで欲しいと思う。

    亡くなった子どもたちの冥福を祈るばかり。
    二度とこのような悲しい事故が起こらないように
    自分が出来ることは何だろうと
    多くの人に考えてもらいたいと思うし、
    免許を持つ人はそれぞれが 
    基本に立ち返るきっかけとして欲しい。

    この記事のURL | いのち、事件・事故 | CM(0) | ▲ top
    - 2011/04/15(Fri) -
    桜が咲いたねえ

    喜んで桜を見ることは もうないけれど
    桜はやっぱり 美しいね。


    どじが亡くなってから初めての春に
    幼稚園の同じクラスだった子どもたちのお母さんたちに
    園庭でみんなでお花見をしましょうと誘われた。

    私を励まそうとしてくれたんだろうなあ。

    そして 私は行った。
    良いお天気だった。
    桜は 満開だった。


    一時話題になった yahoo知恵袋の質問に
    宮城某所で(みんなを元気づけるために)
    桜をライトアップしたいと思うがご意見を、
    というのを先日 目にした。

    久しぶりに見たら
    賛否両論で回答数が凄く多くなっていて
    結局 来年まで待つことにしたらしいけど。

    質問者は 悲しみを知らない人なんだろうなあ。


    例年どこでも当たり前のように行っているけれど
    ライトアップしなくたって
    桜は十分 美しいよ。


    被災者の家族を亡くした人たち
    桜の下でおもいきり 
    泣けたらよいね。
    この記事のURL | ひとりごと・日常 | CM(0) | ▲ top
    矛盾
    - 2011/04/02(Sat) -
    夜明けが近づく時間
    薄い暗闇の中にぼんやりと見える巨大なショッピングセンターは
    里山みたいだ。

    人々が遊ぶ現代の里山。

    木々が茂り 葦の原が広がり
    水鳥や多くの生き物が住んでいたその場所を
    壊して 埋めて 人口の山を建て 新たに僅かな木を植えた。

    あんなところに行くものかと
    最初は私は行かなかった。

    でも風景が一変し その風景に目が慣れてしまうと
    生活の品を求めて
    遥か遠くの地から送られてきた油を車に詰めて
    橋を渡って 出かけるのだ。 
    なんという矛盾。

    暴れたら手なずけられない原発は
    この国にはいらないと言いながら、
    原発のある土地に訪れても 
    長くは滞在したくはないと心の片隅で思いながら、
    自分が住むこの家は オール電化。
    なんというこの矛盾。

    甘受し続けていいものじゃない と
    最近は節電 これからも節電。
    経済活動が落ち込むと言う人もいるけれど
    個人がする節電と 経済活動は別のもの。
    大切なのは個々の意識です。
    あって当たり前ではないものが どれだけあるか、
    今回の災害で 思い知ったのは私だけではないでしょう。

    それにしても思うのは あの東京という大都会の異常さ。
    0時を過ぎても 多くの人がホームに溢れ電車は満員。
    それが常。
    その中に一時でもいた私も 異常の中に入るけれども。

    日本の多くが異常です。
    明るすぎて星が見えない夜空の下に住むことだけが
    豊かな暮らしではないということを、
    気付いた方がよいと思うのです。

    計画停電 生産する人達は大変だけれど
    せめて家にいることができる人は
    外に出て 星空を眺めてみてはどうでしょう。
    この記事のURL | ひとりごと・日常 | CM(2) | ▲ top
    | メイン |