与えられた場所で
    - 2011/05/26(Thu) -
    早々と梅雨入りしてしまった。

    今年は珍しく早々と(遅れもせず他の人達と同じ頃にという意味)、
    陽射し除けのヘチマ植えもネット張りも完了させ、
    すだれもかけ、でもやっぱり早過ぎたかもと思いつつ
    建具もはずし、のれんをかけようとしたときに椅子から落ち
    胸と足を強打までして夏の準備をしたというのに 
    寒い。

    それにしても、これくらいの落下でもかなり痛いもので、
    あいたーーーーと動けずに呻いている間にも
    震災での怪我はこんなものではなかっただろうと
    さまざまなことが頭をよぎる。

    新聞を読んで涙ぐみ 本を読んで涙ぐみ
    テレビを見ては涙ぐみ
    空を眺めては涙ぐみの日々。
    だけれでもおかげさまで私は今元気に生きている。
    落下で怪我もしなかったし。

    というのが近況ですが
    その他 最近、地域への愛を失ってしまった感がする。
    少し前までは良いところだと思っていたのに。
    最近は市の広報も見る気がしない。

    いえ ここは良いところ 住みやすいところ。
    ご近所の方も良い人ばかりで
    気が利かない私でも許されて受け入れられて
    安心して暮らせるところなのに。
    嫌なのだ。

    何が嫌だといえば 
    自分の過去→事故について を
    知っている人がたくさんいるからだ。
    隠そうとしても出てしまうもので
    その関係の活動をすればわかってしまうもので、
    それでも、知られるのが嫌だというこの相反する思いは
    もうどうしようもない。
    以前住んでいた地域の知り合いに出会うのも
    そこの地域に行くのも嫌で。
    でも小さな電車に5分も乗れば行けちゃう場所。
    細長い市の隣同士。
    なんでもっと 離れたところに引っ越さなかったのだろうと思うけど
    その時は離れ難かったのだ。

    ああ 捨てたい。
    大切な過去でもあるのに、捨てたいと思う。

    なんてことを考えていた時、
    またしてもお寺の掲示板に諭された。

    与えられた場所に
    生きる意味を見つけない人は
    どこにいても満足はない


    はいその通りです。
    文句を言ったところで離れられる状況でもない。
    耳についても同じで 
    嘆いているだけでは進歩はない。

    生きる意味・・
    生きることに意味はない と言う人もいる。
    私は 意味という言葉は違うような気がしているけれど
    他の言葉が思いつかない。

    ただ生きている間は、
    日々を味わって生きていきたいと思う。
    生きられなかった どじの命を思いながら。
    その中にどじの時間も、入っているように思いながら。
    この記事のURL | ひとりごと・日常 | CM(0) | ▲ top
    | メイン |