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    満天
    - 2012/03/31(Sat) -
    20120331.jpg

    満天 まんてん

    去年の夏から家にいます。
    ぶさかわと呼ばれるタイプの、
    でも歯並びがきれいで
    毛が柔らかいのと声が可愛いのが 
    亡きむっちぃによく似ている。

    風が強くて飛ばされそうです。
    そういえば今年は春一番 吹きませんでしたね。

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    - 2012/03/28(Wed) -
    ようやくまともになりつつある。
    まともな状態が本当にまともなのかは別として。

    一見塞いでいるように見える傷口の中身は実は膿がいっぱいで
    痛みが日々増してくる。
    ある日とうとう耐え切れなくなり傷口が破れ膿が噴出。

    一昨年の夏も耳のことで膿を出した。
    物を投げつけ大声で泣きわめいた。
    但し一人で クローゼットの中で・・というのが小さいけれど。
    泣きたい時も大声を出さないようにと
    理性を持つのは少し悲しいことかもしれない。
    それでも泣いてすっきりした。
    あの日、私は諦めることが出来たのだ。
    最近は 「諦める」 と言う言葉を出すのがはばかられる向きもあるけれど
    諦めることで前に進むことが出来る時もある。

    膿を出したのはこれで2回目。
    少ないと思う。
    だから溜まるのかもしれない。

    今後も少しずつ膿は溜まっていくだろうけど
    少しずつでも自分で膿を吸収、排出出来るように
    なれますように。

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    百七十三月二十一日
    - 2012/03/21(Wed) -
    平田俊子さんの 「十四月七日」 の詩を読んだのは
    もう何年も前のこと。
    毎月1回詩を書くことに決めた2年間の
    14番目の月の 詩だそうだ。
    私にとってその詩は 
    痛く 悲しい。

    どこが痛くて悲しいのか
    わからない人もいるだろうし
    同じように悲しいと
    感じる人もいるだろう。


    1年を区切ることをしなければ
    私の今日は百七十三月二十一日。
    どじが亡くなった月を1月とすれば
    173月21日になるのだった。

    1ヵ月が173回。

    その間 私は一体何をしていたのか。
    何かをしてきたようで
    何もしてこなかったのではないかという体感。

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    楽しくなくても楽しいと言ってれば
    - 2012/03/19(Mon) -
    20120319.jpg

    お茶の緑の底に
    きれいな光る月が沈んでる。

    リュウジさんの備前の焼き物。
    昨日京都の個展に行ってきました。
    一目見て気に入り購入。
    普段飲んでる安物のお茶でも
    器が違うと美味しく感じるのは不思議。
    心に ゆとりが生まれるのかな。
    器が変わると心も変化するのかもしれません。

    こんな感じで日々 
    興味深く感じることはいろいろとありはするけれど、
    心から楽しいと思うことは あまりないのです。

    「生活に追われて楽しいことなどないわ!」
    と 言う人は周囲に結構いるけれど、
    また 人生の疲れがたまってきて
    そう感じる年齢でもあるとは思うけど、
    その人達の楽しくないと
    私の楽しくないはまた別物だと思う。
    それは以前の(事故の前の)自分の感じ方と 
    今とは違うということが
    自分にはわかるからかもね。

    それともやっぱり ただ疲れているのだろうか。
    我慢して笑顔でいるとか
    我慢して元気なふりをするとか
    人と話をするときにいつも
    「すみません聞き取れないので」と
    謝らなければならないことに
    疲れてしまったのだろうか。

    だけど
    人生が楽しくないとは言えど
    茶碗の底の輝く月に見とれたり
    久し振りに会って楽しく会話したり
    仲間と飲みに行ったり
    温泉でリラックスしたりと
    ささやかな楽しみ ささやかな幸せは
    考えてみれば幾つもあるのだった。

    「ありがとう」 「感謝します」 「ついてる!」
    の 幸せを呼ぶ言葉を使うよう心がけている
    (でもよく忘れてる)ついでに
    これからは 「楽しい!」 もプラスさせていこう。

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    3月15日
    - 2012/03/15(Thu) -
    窓から見える景色はあたたかでも
    外は風が強く、まだ寒い。
    冷たい風に吹かれて 感じる。
    ああ 私は 生きている と。

    生きている時は 
    生きていると感じながら生きた方がいい。
    だけど生きていると感じながらも私は
    死者と繋がって 生きていたい。

    死者と繋がると感じることは
    私にとって
    どんなことよりも癒しになるのだ。
    繋がることで生きていける。
    繋がることで笑って行ける。
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    切り替え
    - 2012/03/13(Tue) -
    昨日 写真のプリントをしに、ある写真店に行った。
    そこの店主は少し不思議な人で、聞こえた時には死者の声を伝えてくれる。
    但しすべての人にではないし、いつも伝えてくれるわけではない。
    私が行く時には店にいない時が多いので、いつも出会えるわけでもない。
    また私も殆どと言っていいくらい写真のプリントはしないので、
    出会える確率は非常に低い。
    出会えて話が出来たらラッキーだけど、
    店主が話したいと思われた時だけ、喜んで聞かせてもらうつもりでいる。

    昨日行った時には久し振りに会えて、すこし話もした。
    何かが見えるとか言ったとかの話はなかったけれど
    元気だせ のように腕をぽんと 叩かれて
    なんとなく私は元気が出たような気がする。

    ずっと元気がなかったのだ。
    命日から紅葉の季節になり
    震災をも忘れたように世間が華やかなクリスマス、お正月。
    毎年冬は陰鬱として過ごすけど、どじを失って15年目になってからは
    例年とは違う苦しさがあった。
    悲しみはかたちを変えて続く とよく言われるけれど
    これがそうなのかと思うような、重い日々。
    自分が情けないばかりで、自分を否定する日々。

    2月に入りようやく少し落ち着き、3月になり震災から1年。
    多くの被災された方々の今に、頭が下がる。
    結局私は義援金を送ることでしか支援出来なかった。
    鬱々としていた時間を、使う事が出来ればよかったのに。
    鬱々としていた時には、多くの時間を自分のために使っていた。
    時間を無駄にしていたような気がする。
    意識して、他者のためにも時間を使っていこう・・・と
    ようやく 本当にようやく、切り替えようと思っていたところに
    店主に背中を押してもらった感じ。
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