重い軽いは結果であるだけ
    - 2012/04/29(Sun) -
    事故は続くように思える。
    どじが亡くなった時も、
    続けて幾つかの事故が身近に起こった。
    軽い事故ばかりと聞いたけど。

    続く というより、死亡事故の後だったので、
    普段なら噂にもならない事故でも
    クローズアップされただけなのかもしれない。

    だとしたら、日常的に起こっているということですね。
    軽い事故はみんな気に留めないだけなのだ。
    だけど、そこに潜む恐ろしさ
    立ち止まって考えて欲しいと思う。


    祇園、亀岡、千葉、岡崎、
    そして今朝のバス事故・・・と
    大きな事故が続いている。

    世間の注目を集めるニュース。
    でも事故の大きさは、原因や
    亡くなった人の数や、
    怪我の程度で決まるものではない。
    どんな事故でも大きな事故。
    重いか軽いかは、結果に過ぎない。

    自分本位の運転をする。
    ハンドルを握ることに対しての責任感がない。
    または責任があることを忘れている。
    車は便利である反面、
    容易に人を殺せる乗り物だという自覚が足りない。
    個人にも 安全対策を怠る国や企業にも。

    事故で大切な家族を失った方々の姿は
    どじを亡くした時の私の姿。
    そして多くの人が
    その姿になるかもしれないということを。

    気付いてもらえるように。
    事故のない安全な社会になるように
    多くの人の意識が変わっていきますように。

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    言葉の軽さ
    - 2012/04/25(Wed) -
    夫を 「ダンナ」 
    妻を 「嫁」 

    流行りの言葉なのかもしれないけれど、
    それを普通に使うのは、どうかと思う。

    若くて可愛い、結婚したばかりの女性が
    それ程親しくはない年上の私に
    「ダンナが・・」 と話すのは品がない。

    オバサン同士の会話で、概ね愚痴を言う時に 
    「ダンナ」 と言う言葉を使うのは前から耳にしていたし、
    テレビの影響で(多分お笑い?)
    多くの人が使うようになったのだろうけれど、
    TPOを考えてお使いなさいませよ。
    と 私は言いたい。

    え うるさいですか?

    同じような流行りの言葉で
    「やんちゃ」 というのもありますよね。
    その言葉を聞くようになってもう何年?
    この言葉こそ、定着しないで欲しいと思う。

    「やんちゃ」 は子どもの行動を指す言葉だと思います。

    辞書によると

    子どものわがまま勝手なこと。
    だだをこねたりいたずらをしたりすること。

    とある。

    大阪弁でのやんちゃもそういう意味らしいですね。
    あまり年を重ねた人には使いませんが、大人にも使う場合があるようです。
    最近は全国的に大人にも使っています。
    わがまま勝手な「人」と言う意味で
    「やんちゃ」 と使う場合が多いのでしょうか。

    「若い頃はやんちゃしていたけど、今は立派な社会人だ」
    と言うのはまだ許せます。
    しかし、良くない事を起こした人を
    あの人はやんちゃだというように、簡単な言葉で片付けて欲しくはない。

    「非行に走っている」 
    「自己中心的で暴力的」
    「迷惑行為を繰り返している」

    などという直接的な表現を避けて 「やんちゃ」 と言うのは
    自分を守るためでもあるのかもしれませんが、
    良くないことは良くないのだと、周囲は言葉で伝えるべきなのです。
    「やんちゃ」 という言葉は軽いです。

    自分の身を守るのは大切ですが、
    もっと私たちは、声を出さなければいけないのではないですか?
    傍若無人に振る舞う人がいるのも、誰も何も言わないからではないですか?
    一人だけが言ってもだめです。
    多くの人が言わなければならないのです。
    知らぬふり、他人事としている結果、
    罪のない人たちが犠牲になるのです。

    「若い頃はやんちゃしていたけど、今は立派な社会人」
    になってもらうためにも、
    年を重ねた大人は、私も含めて、もっと毅然としたいと思います。

    やんちゃな若者が無免許で居眠り運転。
    痛ましい事故です。辛すぎる。
    病気の発作による疑いが大きい祇園の事故も、車の運転を軽くみてきた
    社会全体の責任があるのではないでしょうか。

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    当たり前のことが嬉しい
    - 2012/04/13(Fri) -
    近所の、マンションの1階にあるスーパーの入り口前には、
    春になるとツバメが巣をつくる。

    せっかく作った巣を 
    「不衛生だから」
    「邪魔になるから」 
    と壊してしまう人もいるけれど、
    ここのスーパーは自転車置き場にもなっている
    決して広くはない入口前の、ツバメの巣の下に
    ”上にツバメの巣があります。ご注意ください” 
    の貼り紙をつけたダンボールを置いてくれている。

    店長が変わっても必ず置いてくれるこの店。
    ほのぼのするなぁ~。嬉しいなぁ。

    しかも今年は巣が増えて、2ヵ所になっている。
    毎年帰ってきてくれて、また
    巣も増えて、
    これも嬉しいなぁ~。
    人間以外の生き物との共存を考えることが
    当たり前と思う人が、
    もっと増えたらよいですね。

    その店のあるマンション沿いの道路と直角に
    道が繋がっていて、T字路になっている。
    店の真ん前にあるその道の左右に渡れるように、
    横断歩道はふたつ、ついている。
    その交差点は広くはなく、信号もないけれど
    店を出て左100メートル程先には信号があり、
    その方向に向かって信号待ちの車が並ぶ・・・
    とき、
    殆どの車が横断歩道を意識せずに停止する。
    交差点だということも頭にないようで、
    交差点内に信号待ちの車が
    ふたつの横断歩道を塞いで並ぶ・・・のですよね。
    歩行者が、横断歩道の前に立ち止まっていてもお構いなし。
    交差点の角に交番があるのも忘れているようで。
    と言ってもおまわりさんはいつも留守なので、関係ないですが。

    常にそんな感じですが、なんと珍しいことに今日は
    手前の横断歩道で停止する車を見ました!
    その前の車も横断歩道を過ぎた位置に停止していたから、
    交差点が広々として清々しい!
    歩行者も安心して渡れる。
    嬉しいなぁ~。
    人と車の共存が、当たり前だと思う人が
    もっと増えたら、よいですね。

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    真夜中の桜
    - 2012/04/11(Wed) -
    夜明け前の 公園の桜はほぼ満開。
    ぼんぼりに照らされた白い花がとても
    美しい。
    桜は 真夜中に見るのが
    一番美しいのかもしれない。
    静寂のなか 
    その美しさを愛でたいと思う。

    夜明けにぼんぼりが灯っているのは
    一晩中点いているということだろう。
    もったいないとも思うけど
    灯りがあるからこその美しさ。

    本当は月の光がよいけれど。

    ふと 夢路 行 の
    「夜話」 を 思い出しました。
    久し振りに 読んでみよう。

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    オンリーワン
    - 2012/04/07(Sat) -
    一時風に雪が舞う寒い天気。
    庭で聞くウグイスの鳴き声も
    冷たい空気の中で冴えわたっているよう。
    最近は鳴き声が上手になって、ちゃんと
    「ほーほけきょ!」 
    と聞こえるよ。

    まだ私はウグイスの声がわかるんだ。
    本当はもう少し違う音で聞こえているのだろうか?

    などと考えつつ新聞を手に取り、
    槙原敬之作の 「世界に一つだけの花」 についての記事を読む。
    この歌については好意的な意見もあるけれど
    非現実的、個性偏重だという否定的な意見もある。

    私がこの歌を最初に知った時は
    手話通訳者の丸山浩路さんの講演を思い出しました。
    歌詞を見てパクリ?(失礼)と思ってしまいました。
    私は浅い人間です。
    お2人の 「オンリーワン」 の想いに至った経緯は違いますが、
    槙原さんは挫折を経験された方。
    経験をして、気付くことが出来た人だから、
    大切なことを伝えて下さっていると思います。
    音楽で誰かの役に立てるのは素晴らしい。
    元気づけられるという人もいるでしょう。

    ですが私はというと、
    この歌詞に元気づけられる、と感じたことはありません。
    記事によるとある社会学者は、
    自分が特別な存在だと実感できない子どもたちにとっては
    救われようがない と読み解いたそう。
    私が感じるのもこれに似ているかもしれない。
    救われないというより、まず、
    存在しない方がよかったのにという自己嫌悪かもね。

    と言ったところで、
    子ども時代はとっくの昔に過ぎ去り、
    修正することも出来なくなってしまって
    「生まれてこなければよかった」 などという
    甘えたことも言えない大人になってもう何年も経ったから、
    開き直ることしか出来ません。
    逆に言うと、開き直る余裕が持てるようになったということか。
    時に鬱っぽくなったとしても
    受け止めて生きられるようになりました。

    自分が 「オンリーワン」 だと
    どじを失った私でも、
    聞こえなくても堂々と生きられるようになれるには
    まだ 時間がかかるのでしょうか。
    (早くしないと終わっちゃいそう)

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    飛び出し坊や
    - 2012/04/01(Sun) -
    飛び出さない心構えも必要だけど、一番注意しなければならないのは
    ドライバーとしての責任を持ち運転すべき人。
    徐行すべきところで徐行さえしていれば、殆どの事故は防げるのだから。
    基本を忘れてしまうことが、大事故につながる。

    だから 「飛び出し坊や」 というネーミングは
    私には多少 引っかかるのです。
    でもあの坊やは、ドライバーへの注意喚起にはなりますよね。

    けれど、見慣れてしまうと注意力も薄れるのか?
    家の近所には飛び出し坊やはいないけれど、
    かなり大きな文字で書かれた

    「あぶない」     
        
    の看板が幾つも立っているにも関わらず、
    左右に細い路地が何本もあるこの道を、すっ飛ばすバイクがいる。
    道幅が狭いので、さすがに車はすっ飛ばせない と思いきや、
    たまにスピードを出して走る車もいる。
    殆どは住人以外の、近道として通っている人たちのようです。

    すっ飛ばす人間がもし事故を起こしたら
    「飛び出した方が悪い」と、
    自己の責任をぶつけた人になすりつけるのでしょうか。
    そこに 他者への愛は感じられません。
    みんなが思いやりを持てれば、と思うけど
    他人の考えや行いを修正するのはとても難しい。
    だからやっぱり、継続して注意喚起していく必要がありますね。

    リュウジさん が、
    (先日のお茶椀のリュウジさん)
    子どもたちの通学路にもなっている、店の横の狭い道を
    近道として通る車が多く危険なので
    貼り紙をして、飛び出し坊やを設置しました。
    4年位前だったかな?
    「紫安(しあん)くん」 と名付けられたその坊や
    邪魔だと言われたり、傷つけられたりしていたけれど、
    継続は力なりで
    久しぶりに送られてきた写真を見ると、

    なんと!
    道の両端にラインが引かれ、
    中央はレッドカーペットのようなカラー舗装の道路に変身!

    20120329リュウジさんから

    これでは車は入りにくいと思います。
    ただ線を引いて道路に色を付けただけで
    視覚的に、ドライバーに伝えることが出来るのですね。

    紫安くん、罵声を浴びせられても、倒されても
    耐えて完全勝利しました!

     (by リュウジさん)

    リュウジさん一人で始めたことが、環境を変えていきました。
    私もとても嬉しいです。

    ありがとう、リュウジさん。
    ありがとう、紫安くん。

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