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    チャレンジング
    - 2013/03/18(Mon) -
    フライパンに油をひきながら
    「サラダに卵入れるよね?」 と聞かれ
    「へっサラダ? 卵?
     ゆで卵なら入れるけど」

    後で聞き違いだったと判明。
    サラダでなく チャーハン と言ったらしい。
    なんでチャーハンが サラダに聞こえるの 謎。

    話が全く噛みあわない。
    今回は聞き違いを指摘した人がいたからわかったけど、
    大抵の場合聞き違えても、指摘してくれる人は殆どいない。
    心で苦笑されそのまま終わる。
    指摘は余計なお節介ではないので、
    遠慮せず教えてくださいお願いします。

    それにしても
    聞こえていれば数秒で理解できるものが数分もかかるなんて。
    きちんと聞こえないのはなんて面倒。
    なんて不便。

    今回はあまりにも理解できない聞き違いなので
    思いだし笑いをするほど笑えましたが。


    『障害は不幸でなく不便なだけです』

    その通りだけど、
    自分がいくらそう思おうとしても、
    どうしても以前の聞こえていた自分と比べるから
    「不幸感」がぬぐえない。

    ここで感謝をすれば、
    暗い穴に落ち込むことなく
    上昇していけるのだろうと思う。
    だけど失ったものは、持っていた時より大きくなる。
    それは執着というものなのでしょうか。
    どじに対しても、そうなのか?
    執着とはまた違うように思うけど、
    宗教者でない私はうまく言えません。

    以前の「聞こえていた自分」 
    対比して
    今の 「聞こえにくい、理解できない自分」
    は、
    能力なし 聞こえる人と同じことをする資格なし
    とまで思えてしまう。

    失ったことを受け入れるのは本当に難しい。
    社会的なサポートが全くない、というのも
    苦しみが増幅される原因のひとつ。

    中度難聴者にも障害者認定を!!
    と 心で叫び
    毎日不便をクリアしていくしかない。
    クリアできないことも多いけど。
    チャレンジングな毎日・・と言えばそうである。

    考えてみれば私以外のどんな人にも
    迷い苦しみ悩みはあるもの。
    愛やお金が足りず不足感いっぱいの人も
    病気で苦しんでいる人も
    災害で苦しんでいる人も
    大切な人を失い苦しんでいる人も。

    生きていくのは皆平等に、
    チャレンジングなことなのかもしれない。

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    記憶の中の人
    - 2013/03/11(Mon) -
    震災から2年。
    テレビの番組は震災特集。
    家族を失った人へのインタビューを見て
    遺族はみな同じ気持ちなんだな・・と
    その痛みを感じている。

    昨日ひさしぶりに、ある友人に会った。
    以前住んでいた地区の人で
    どじと同い年の息子さんがいる。
    息子さんとどじは友達で、
    時々お家に遊びにも行っていた。

    亡くなる数日前、スーパーで
    その友人はどじと出会った。
    「おばちゃん」 と声をかけられて見たら
    そこに、おばあちゃんと一緒に来ていたどじがいた。

    「あーどじくん」
    友人が連れていた息子さんに、
    「どじくんだよ」と言って振り向いたら
    もう そこにどじの姿はなかったそうだ。

    あれ? どこに行ったんだろう?

    おばあちゃんと一緒だったから、
    多分そのまま別の売り場に行ったのだろうけど、
    友人にしてみれば 「消えてしまった」 ように感じて、
    不思議な気持ちがしたという。

    その数日後にどじは亡くなった。
    友人は、お別れを言われたように思ったという。
    友人はその時のどじの顔が、ずっと心に残っているという。

    あの人懐っこい感じで、「おばちゃん」と呼んだんだろうなあ・・・

    どんな出来事であっても、
    その人の記憶の中にどじがいるのは、嬉しいことだ。
    その人が生きている限り、記憶の中の亡くなった人は
    いつまでも生きていられるように思える。

    誰かの記憶の中のどじを感じたとき
    どじはまた生き生きと動き出す。
    そんな時 私は
    これからも生きていく勇気が湧いてくる。

    震災で助かった人達の生活もまだまだ安定には遠く
    苦労も多い。
    でも生きているからこそ出来ることは、たくさんある。
    そのことを私も心に留めて
    それぞれの人の記憶の中のどじを想いながら
    これからも生きていこうと思う。


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    交通事故の犠牲
    - 2013/03/06(Wed) -
    満天が我が家に来た経緯はというと、
    友人の実家で生まれた野良猫を
    もらって欲しいと頼まれたから。

    そこのお家にはご病気の方がいて
    家で飼うわけにいかない。
    貰い手がなければ保健所に連れて行くと聞いて、
    1匹だけ引き取ることにしたというわけ。

    最終的には1匹が自然死し、残った子猫2匹と母猫は、
    農機具を入れている小屋に餌とトイレを入れてもらい
    半野良状態で今も元気にその家にいます。

    3匹の兄弟と共に満天は生まれた。
    母猫は、満天と同じ毛の模様をしていて、
    満天と同じく尻尾が寸足らずの猫。
    子猫4匹も、母猫と同じく、
    ぱっと見て 可愛い!! とは言えない猫だった。

    なんていうと大変失礼ですが。
    みっちぃとむっちぃがあまりにも可愛かったので
    どうしても比べてしまうんだろうな~

    4匹の子猫のうち、一番じゃれてきた元気のいい猫を選んで
    もらってきたのが満天です。

    満天が生まれる1年程前、
    その家の前で母猫が車に轢かれて死んだ。
    その猫のそばで鳴いていた子猫を、
    その家のお父さんが不憫に思い、小屋に住まわせてやった。
    それが満天の母親です。

    そこの家の前には細い道があり、
    奥の方には新興住宅地があって、
    その細い道を通る車が多い。
    それにけっこうみんな、スピードを出しているのです。
    あんなに細い道なのに。

    交通事故で犠牲になるのは、人間だけではありません。

    自動車専用道路などに
    猿や狸や熊や鹿の絵と共に
    「動物注意!」と描いてある看板が設置されているけれど、
    注意するだけで避けられるものか? といつも疑問に思う。

    高速で走っているのに、
    急に動物が飛び出してきたら避けようもないし、
    避けようとして事故になる場合もある。

    元々、動物たちのテリトリーに勝手に道を作って
    遮断してしまったのだから、
    動物のための通り道を作ったり
    道路に入らないように柵を設置しなければならないと思う。
    効率優先では、そんなことは切り捨てられてしまうけど、
    地球は人間だけのものではない、ということに
    目を向けられるようになれば、、、
    どんなにいいだろうか。

    以前北海道でも、
    高速道路を走行中に、
    飛び出してきたキツネを避けて命を落とした女性がいた。
    その後ご遺族が訴えていた裁判の判決では
    動物の侵入を防ぐ対策が不十分だったとして、
    高速道路側の責任を認めました。
    でも、その後対策はされたのだろうか? と
    気になるところでもあります。

    事故が起きなければ、
    気が付かない、動くことがないこの社会。
    こんな悲しみ(人間にとっても動物にとっても)は
    なくなって欲しいものだとつくづく思う。

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    ストーブのような
    - 2013/03/03(Sun) -
    洗濯ものを干していると
    太陽の光が差し込んでくる。
    まるでストーブの熱のように
    温かい。
    太陽があるから生きていられる。
    太陽に 感謝。

    あたたかいと幸せな気分になるのは
    人も猫も一緒のようです。

    満天ちゃん
    満天ちゃん

    「満天」という名前は
    毛の模様からつけた。
    混沌としている様が
    宇宙の始まりのカオスを連想させて、
    見上げる夜空の満天の星を連想させて
    「満天」

    名前はとっても美しい。
    だけどお世辞にも
    「かわいいね~」 と言えない猫。
    町内一のブサ猫かもね。
    少し離れると目がどこにあるのかも、
    よーく見ないとわからない。

    でもそれなりに愛嬌がある。
    おもちゃを投げると飛んでいって
    くわえては戻ってくる。
    何度も繰り返して疲れるけれど
    楽しい遊び相手である。
    野良出身だけあって、野性的でたくましく
    ももの筋肉など惚れ惚れするほど。
    他人には懐かなくても、
    何か事が起こっても、生き延びられるタイプかもね。

    2匹の子猫もたくましくあって欲しいけど
    人間にも頼れる人懐っこさを持ってもらいたいので
    来客大いに歓迎中です。

    子猫は1匹は顔つき獰猛 クマみたい。
    もう1匹は魔女の宅急便のジジのような
    美少年タイプ。

    犬は精神的にダメだけど
    猫にはとても癒される。


    思い返せば
    みっちぃとむっちぃは
    ほんとに美形の猫だった。

    みっちぃの瞳の色は屈斜路湖の色
    むっちぃの瞳の色は摩周湖の色

    いつも抱くたびに
    きれいだねと しみじみ思った。
    町内で一番かわいい猫だった。
    いやほんと。


    ペットロスはないの? と 時々聞かれる。
    ない訳じゃないけど
    人間が一人死んでいるからか
    耐性が出来ているというのか・・
    悲しいけれど 仕方がないと
    受け入れることは出来ているようだ。
    命はどんな生き物にも平等で
    必ず終わりがくるからね。

    2匹は川の近くにある、静かな集落で生まれた。
    陽当たりのよい 広い民家。

    春の終わりになったら
    その川の対岸の山に
    2匹一緒に 散骨してやろうと思っている。

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