バリア2
    - 2007/03/20(Tue) -
    肩の痛みはましになりましたが
    別のところが痛みます。
    でも 痛みは気付きでもあったりして。

    さて 前回の続き。

    手話通訳、要約筆記をしていただいて
    よく思うことがあるのです。

    本当ならそれに対して
    報酬を支払わなければならないはず。
    勉強のつもりだから気を遣わなくてもいいよ、と言ってもらっても
    その時間を私のために使ってくれているのだから
    何か御礼をしなければといつも思います。

    もちろん交通費は支払います。
    僅かの謝礼を渡す時もあります。

    手話でも要約筆記でも、レベルアップするためには
    見えないお金をけっこう使っているものです。
    努力して身に付けた技術だから、
    本当ならもっと報酬が高くてもよいのに、
    ボランティアの延長として見ている人が多い。
    技術だけでは食べていけない現実。

    だから、仕事としてお願いするべきものと
    私は思うわけですが、
    障害者と認められていないので、実費で支払わなければならない。

    どうしても必要なことが多い場合、その費用はかなり負担になります。
    どこを削って費用を捻出しようか・・・・
    と考えることになるのです。
    普通なら聞くことに対して、1円も支払わなくてもよいはずなのにね。

    それほどまでに知りたいの? 
     と聞こえる人は言うかもしれない。

    知りたいですよ。
    他の人と同じ立場で、情報を知りたいですよ。
    同じ立場で、感情を共有したいですよ。
    大切な話、どうでもいい話の区別なくね。
    だけどそれが難しい。

    事前に学習していくとか、自分も努力するけれど、
    全て努力では補えない。
    まあいいや と自分が放棄すれば
    そこでストップしてしまうのです。

    だけど聞こえる大多数の人は、少数の聞こえない人に対して
    まあいいや で終わっている場合が多いと思う。

    聴覚障害に関わっている人なら、
    100人の中に1人でも聞こえない人がいたら
    その人への配慮をするのが当たり前であると思うけれど
    一般社会では違う。
    100人の中の、たった1人。
    不自由だけど我慢してもらおう という場合が多いと思う。

    所詮この社会は健常者中心。
    バリアがあるのを感じます。

    でも、気が付いたことがあるのです。
    私自身、大勢の中のたった1人なのだから
    私さえ我慢すればよい と 思っていることが多いことに。
    そう、私自身がバリアを持っているのです。

    困ることが多くても障害者ではなく、
    聞こえる時もある私が権利の主張をする、というのは
    なんとなくし辛いものでもあるけれど
    これからは自分の立場というものを、できるだけ話していきたいものです。
    それは他の、同じ立場の人たちにとっても必要なことであるはず。


    思うようになった 最近。

    どんなことでも、自分が痛い思いをしないと
    気付かないものなのかもしれませんね。

    痛みをまだ感じていないものに対しては
    想像力で感じていきたいと思う。

    2007/03/20(火) 16:10:42
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