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    矛盾
    - 2007/04/21(Sat) -
    犬はもう 殆ど歩けない。
    歩かせる時にはタオルを腰に巻き、タオルの両端を上から持って
    吊るすようにして歩かせる。
    だけど痴呆のせいで、同じところばかりをぐるぐる回る。
    もうけっこうなお年寄りだ。
    これから全く歩けなくなったら どうすればよいだろう。

    世間では、愛犬の車椅子を作って
    最後の最後までお世話をする愛犬家もいると聞く。
    家族と同様だからって。

    この犬はどうなのだろう。
    私にとって
    家族と同じ存在だろうか?

    犬が衰えていくのを見ていて、いつも考える。
    この犬は同居している犬で、家族とは私は思えない。

    情はあるけど 愛情はない。
    世話をするのは、私の義務だと思ってる。
    犬も自分に愛情が向けられていないことを、感じることがあるのだろうか?
    それでも元気な時は、リードを見せると尻尾を振ってよろこんだ。
    散歩の時には生き生きしていた。
    その姿は、外からは
    普通の幸せな飼い犬と飼い主に見えただろう。

    もともと犬はそれほど好きなほうじゃない。
    じゃ何故飼ったのか? と思うでしょう。
    私は犬に同情した。
    犬は私の友人が飼っていた犬で
    彼女が病気で死んだ後、高齢のお父さんが3年間世話をしてきたけれど、
    老人ホームに入る予定があるから、犬を処分すると
    私に電話をかけてこられたのだ。
    私は犬を見捨てられなかった。
    犬と、彼女と、お父さんの人生に、私は同情したのだ。

    だから3匹のうち2匹を引き取った。
    当時は毛も抜けて、躾もできていなかった犬を
    手入れして、きれいにして、
    犬の躾け方教室に行ったおかげで
    お座りやお手もできなかった犬ができるようになり
    散歩も再びできるようになり、健康的になってきて
    上手く生活に溶け込んできた時に、事故が起こり
    犬は助かり、息子は死んだ。

    事故の原因は犬じゃない。
    だけど 賢い犬だったら
    ダンプの接近に気付いたかもしれない。
    あの犬は、普通の犬だということに気が付かなかった私。
    事故の可能性を全く考えずに
    子どもたちだけで犬の散歩に行かせた私。
    そうやって 自分を責めて
    犬の散歩をさせる度に事故を思い出して
    「どうしておまえは息子を助けなかったの」と呟いて。

    普段は考えないようにしてきた。
    楽しいものにしようとしてきた。
    だけど
    犬との生活は私にとって苦痛だった。

    だから今 散歩に行けなくなって 私はほっとしている。
    もう 行かなくていいんだと。

    立てなくて吠え続ける犬。
    そのうちに疲れて眠る犬。
    家に来てから、息子の人生の時間を越えて生き続ける犬。

    餌を口元に持っていき与える。
    がつがつ食べる。
    生きようとする力を感じる。

    でも と思う。
    もういいでしょう。
    私を解放してよと。

    2007/04/21(土) 13:29:40
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