理想それとも綺麗ごと
    - 2008/01/05(Sat) -
    風見しんごさんが
    交通事故でお嬢さんを失ってもうすぐ1年。
    彼は事故撲滅のために、依頼があれば講演に行くそうです。

    ある新聞に、
    犠牲者の無念、家族の悲しみ、加害者の悔いを、事故撲滅の力に変えることはできる。
    と書かれていた。

    悲しみを乗り越えて訴え続ける家族の努力の成果は
    皆が知っている通りです。
    でも加害者の悔いが、
    事故撲滅につながることが、あるのでしょうか?

    確かに世間の目はあるだろうと思う。
    失職することもあると思う。
    だけど事故を隠して生きることは、簡単にできる。

    何人もの加害者達を見たけれど、
    自分のために後悔はしていても
    他の人生を奪ったことに対して、
    心から悔やんでいる加害者には会ったことはありません。
    加害者の職業が何であろうと 皆同じ。

    私が知っているだけの範囲なので、
    そうではない人もいるのかもしれません。

    加害者になれば、
    「自分はそれほど悪いことをしていない」 
    と思いたいだろうし、
    実際に思っている人が多いと思う。

    「殺そうと思って殺したんじゃない」
    「交通事故なんだ」

    飲酒運転などの事故には、社会の目は厳しくなったけれど
    どこにでもあるような事故に対しては、「不運」で片付ける人も多いと思う。
    交通事故に対して社会は優しい。
    司法に守られ、周囲に同情される加害者。
    だけど守るだけでは、人は変わらない。

    事故で人を死なせた人達は
    まず自分のしたことに真摯に向き合ってほしい。

    加害者自身が自分の人生について考えられるように
    誰かが導いて欲しいものだと思う。
    悲しいことに、事故はそのきっかけにはならないようだから。
    全ての加害者がとは言わないけれど
    大きな事故を起こす人は、人間的に大切なものが何か欠落しているように思う。

    守ることも必要でしょう。
    同情されなければ辛いでしょう。
    でも自分に対する厳しさは、必要なのではないでしょうか。

    加害者自身が変わることが、謝罪にもつながると私は思う。
    事故撲滅のために、自らが行動するくらいになってもらいたいと思うのです。

    2008/01/05(土) 00:05:14
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