おきるんじゃきたろう!
    - 2009/02/12(Thu) -
    と毎朝、鬼太郎目覚まし時計が起こしてくれる。
    歌を歌うんですよ。
    皆さんおなじみの、ゲゲゲの鬼太郎。

    数日前のある日。
    その音が殆ど聞こえなかった。
    でもなんとなく、リズムを感じて時計を止めたら
    そのリズムも止まったので
    時計が鳴っていたんだとわかった。
    設定を間違えて小さな音にしたのかと思ったけど
    家族によるといつもの音で鳴っていたとか。

    つまり一時的に聞こえなくなったということ?
    難聴がもっと進んだら、世界の音はこんな感じで聞こえるのかも。


    裁判の頃はまだ聞こえていたからよかった。
    もしあの頃から今のような状態になっていたら、
    知らなければならないことも知らずにいただろう。
    反面、聞こえなければ
    人のちょっとした言葉に、傷つくことはなかったのかもしれない。
    怒りも少なかったかもしれない。
    だからと言って、聞こえないほうがよかった、とは思わない。
    怒ったり泣いたり、辛さを味わうことが私には必要だったから。

    あの時にまだ聞こえていてよかったと思うのは、
    大切な裁判に関われたということ。
    聞こえなければ、当事者の家族でありながら
    母親である私が第三者のようになってしまう。
    その頃は公判記録の開示もされていなかったから
    全てを知ることは出来なかっただろう。
    加害者に適正な刑罰が下されたのか、
    判断することもできなかっただろう。
    一番知りたかったのは、
    何故死ななければならなかったのか、ということ。
    それを知らないままでは、遺族は前に進んでいけない。

    今は刑事裁判に被害者が参加できるようになった。
    遺族の感情が入ることによって、
    公正な判断が出来なくなるという意見もあるけれど、
    ずっと置き去りにされていた被害者が関わることは
    判決を下す人達が、全てを知るということに繫がる。
    そのことが公正な裁判に繫がっていくと思う。

    何でも、変化しないでいることは楽。
    慣例で済ませてしまうことも楽。
    だけど向きを変えれば全く違うものが見えるのだ。
    目を覚まし、よく見ること。
    シンプルだけど大切なこと。

    2009/02/12(木) 16:05:45
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