解放
    - 2016/06/22(Wed) -
    眠れないとき ふと思ったのです。
    今まで (これでも)信じられないくらいに元気に過ごせてこれたのは
    奇跡みたいなものだったと。

    どんなに自分の精神に酷使されても、
    文句も言わず体は応えてくれました。

    体調が悪いと不満に思いました。
    また悪くても無視していました。
    申し訳なかったと思います。

    こんな私を今までよく支えてくれましたね。
    暗闇の中で 心から
    体にありがとうと言いました。


    風邪をひいたり、痛みがあれば治したくて病院に行っても
    積極的に生きていこうという思いはあまりなかったので、
    どんなに痛くても翌日治れば放置していたし
    健診に行こうとも思いませんでした。
    自分が生きている間は 命を味わい生きていくけれど
    家族のためにも食事にも気を遣っていたけれど
    自分の体のこととなると いい加減でもありました。
    これでは家族への責任感も
    ないとは言えないまでも、
    あったとも言えません。

    いつも いつ死んでもいい と
    心の片隅で思っていたからですね。

    そのくせ もし
    余命があとどれくらいか聞かされたら
    きっと おろおろして 
    生きていたいと思うのだろうなと想像してました。
    生きているものは 生きていたいと思うものだから。


    だけど先日、ある男性の方の通夜に行って
    思ったことがありました。

    高齢の方です。
    奥様が優しい方なんです。
    お話しする度に
    気持ちがほぐれるような感じがして
    世の中には 優しい人がいるのだなと
    いつも 思っていたのです。

    家族葬で 参列されたのはほとんどがご親族の方でしたけど
    悲しいけれども ご家族の方にも 笑顔がありました。


    どじの葬儀の時は 私は笑顔になれなかった。
    悲しい 苦しいだけの葬儀でした。
    その気持ちをずっと引きずっています。
    死は終わりではないと感じていても、
    実際にこの世では二度と会えないのだから。

    だから長生きしたくないと思っていました。
    じゅうぶんに長生きな人が
    もっと長生きしたいと言われること、
    毎年欠かさず健診に行く人達のこと、
    そんな当たり前であることを、
    私は少し冷めた目で見ていたのです。


    でも 通夜の様子を見ていて思いました。

    笑顔が出る葬儀って
    いいものだなって。

    亡くなられた方がどんな方だったのかはよく知りませんが
    ご家族を見れば、いい方だったのだなということがわかります。
    入院されていた期間が長かったので、
    漠然と あまり質のよいものではないのかな と勝手に思っていましたが、
    そんなこと 他人の私が知ることができる訳がない。


    優しそうな笑顔の遺影を見ながら思いました。

    子どもを失った悲しみを引きずって生きていくのは
    今日で終わりにしよう。
    もちろん忘れることはありません。
    毎日 ずっと想っています。
    でもそれに囚われるのはやめようと思いました。
    私は私を解放します。

    18年と7ヵ月かかって やっと思えるようになりました。

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