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    黒に近い灰色でも白になる
    - 2010/12/18(Sat) -
    TV番組で
    アドルフ・ヒトラーが愛人のエヴァに語った言葉が紹介されていた。
    「同じ言葉を繰り返せばそれは本当のことになっていく」

    日々の出来事の中にもそういうことはままあり、
    迷惑を受けている人も少なくはない。


    私は時々交通事故の裁判傍聴に行く。
    傍聴と言っても、95%くらいは聞き取れないけれど
    友人が内容を書いてくれたり、
    後でネットでニュース検索したりして
    概要を知ることは出来る。
    そして被告を見ることで
    聞こえなくても、雰囲気は感じ取ることは出来る。

    先日、2人を車で撥ねその場を去った女性の
    ひき逃げについての刑事裁判の判決があった。
    1人は死亡、1人に重傷を負わせた事故だった。
    しかしひき逃げに対しては、まさかの無罪となった。
    自動車運転過失致死傷罪については
    高裁で禁錮2年の判決で、被告は上告中。

    裁判官は
    居眠りをしていて人を撥ねたとの認識はなく、
    隠滅工作もないと言うが、
    被告の事故後について証言した2人は被告の知人であるし、
    被告の事故直後の様子や、
    2人をはねた衝撃などを考えると
    人をはねたかもしれないと考えるのが自然だと思う。
    あれ程の衝撃で車が破損しても、人だと思わなかったということに
    誰もが疑問を感じている。
    道路の横は傾斜となっていて、転がり落ちたら見えないのも
    通り慣れた道だから知っていただろうに。
    何故止まって確認しなかったのだろう。

    何も当たるものがない道路で居眠りをして何かを撥ねた
    (しかも2回)、なら
    人である可能性が十分にあるのだから
    確認するのが、免許を持つ者の義務ではないだろうか。
    その女性が見捨てた結果、1人は帰らぬ人となった。
    その場で通報すれば助かったかもしれない命。
    だけど 「人と思わなかった」
    その言葉を繰り返していた被告は無罪。

    いずれにしても 
    真実を知っているのは本人。
    その真実を裁判では引き出せないのだろうか。
    例え本当に、「人と思わなかった(思いたくなかった?)」
    のであっても、
    人の可能性があるのだから放置せずに確認すべきと
    裁判官に言って欲しいものだと思う。

    免許を持つということは
    他人の命を預かるということでもある。
    例えひき逃げでなかったとしても
    撥ね飛ばした何かが人だと想像できないような人間は、
    免許を持つ資格はない。
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